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【2019 輪廻転生】

愛と哀しみの進化論 (6)


人間と動物の相違点。人間は言葉で考えたり、問うたり、答えたりと、そんなことばかりしている。動物はそういうことはしない。

もちろん動物の脳も「考える」ということをしなければ生存できない。しかしその「考える」は、手足を動かしたり心臓を動かしたりするために脳が「考える」ことに近い。

(逆にいうと、心臓や胃や手足も「考える」。これは人間も動物も共通している。もし、無意識または無自覚に行われることが「考える」に当たらないなら、胃がなにも「考えない」ように、脳の大部分も「考えない」ことになる)

ともあれ、言葉だけが異なる。「考える」の質において、言葉だけが異なる。

つまり、世界を分節するとか認識するとか、あるいは上に書いたように、何かを「問う」とか「答える」といった世界の整理法においては、言葉はじつに優れている。それこそが人間と動物の違いだ。

しかし。だからといって「世界そのものが元来そのように分節・整理されている」とまでは言えないだろう。したがって、生物のありようとしても、人間のありよう(世界を言語的に分節するありよう)が唯一だとか最高だとかも、言えないだろう。

こうした言語による世界のとらえ方に代わるオルタナティブこそ、哲学者ではなく芸術家のほうが志向しているなにかではないだろうか。


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4月に仕事が忙しかったとき、ばくぜんとやっていてはパンクすることがありありと予想され、何をしたかというと、ToDoリストを毎日できるだけ細かく作って、あとはただそれをこなすということだった。なんだそんなことかと思われれが、前はそれすらしていなかった。

要するにライフハックだ。「自分もやっとひとつ進歩した」と感じ入った。

ところが最近、横尾忠則さんのツイートを読んでいて、「いったいおまえは本当にそんなことをやりたかったのか」と、根本的な問いにぶつかってしまった。(http://twitter.com/tadanoriyokoo

本当にやりたいこと、本当に楽しいことを、いったい私はどれほどやってきただろう。結局のところ、それと正反対のことばかりに、あまりにも多くの歳月を費やしてしまったのではないか。


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そのあと、イオセリアーニという監督の映画『月曜日に乾杯!』をDVDでみたが、出てくる人はライフハックなどはあまりしていない。ライフハックによって時間と人生は本当に膨らむのだろうか。むしろ縮むような気がしてならない。

もちろん「自分はなにをやりたいのか」なんて、いつだってはっきりしない。それでも、「どうしてもやりたくない」と言えることだけは、あるいは少なくとも「そんなにやりたいわけでもないなあ」と感じることくらいは、ただ「やらない」ことにしたほうが、時間や人生は結局のところ膨らむのではないか。

どんな光景でも「映画になる!」ということがあるのだ、と『月曜日に乾杯!』をみながら思った。この映画が好きという人は、きっとそんなところが好きなのだろう。それは、どんな生活でも「人生になる!」ということがあるのだ、ということに近い。

イオセリアーニという人はずいぶん高齢なのだと後から知った。でも、いくつになっても自分がやりたいことだけをひたすらやるという態度だけによって、この映画も作ったに違いない。だからこの映画は素晴らしいのだ。――強くそう思った。

逆に、どんなに素晴らしいとされる光景でも「ぜんぜん映画になってない」と言われることがあるように、どんなに素晴らしいとされる生活でも「ぜんぜん人生になっていない」ということがあるだろう。……というか、私を含めてたいていの人の生活なんて、ただただ忙しく、ただただつまらない、のではないか。


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横尾忠則さんのつぶやきが、ここに重なってくる。

特に深く考えさせられたこと。

《人生を仕事と思っている人は別だけど、人生は遊びだといえる人の方が成果を上げている。》
http://twitter.com/tadanoriyokoo/status/15003663806

《ぼくの職業は無価値品製造業者だ。人は無価値なものを手に入れることで人生を価値あるものに変換できると信じているらしい。》
http://twitter.com/tadanoriyokoo/status/13661939780


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では、イオセリアーニの『月曜日に乾杯!』のような人生や、横尾さんのような人生を、なぜわれわれは送れないのだろう。

言い換えれば、われわれは、どうしてこう、とことん浅はかなんだ? ――そのことについてであれば、『恋愛太平記』などを読んでいると、あまりにも身にしみてくる。金井美恵子の小説。

高橋源一郎は『文学なんかこわくない』で、この小説の面白すぎる文章をいくつもいくつもとりあげ、最後にこう述べる。

《タカハシさんはバカである。多くの読者と同じバカである。『恋愛太平記』はそのような読者に、バカの人生に(バカだけじゃないけど)希望なんかないと告げる。
 つまり「生きる」ことに希望はない、というのである。
 そのことが決定的になった瞬間、はじめてタカハシさんは希望という言葉を使ってもかまわないと思ったのだ。
 「生きる」ことに希望はない。おそらく、「生き直す」ことだけに人は希望を感じる。そして、『恋愛太平記』は「生きる」ことを忠実に模写しながら、どんな小説よりも徹底して「生き直そう」としているのである。》

このくだりは、『恋愛太平記』のなんともいえない毒薬の味を本当にうまく評していると思った。恋愛太平記は、99%の天才(金井さん)と1%の努力(高橋さん)のおかげで、奇跡的な読み物になったのだ。

人生の「すばらしいほうの神髄」「おもしろいほうの神髄」に達するというのは、おそらく、たいていの人には至難の業なのだ。そうであるなら、人生の「くだらないほうの神髄」「つまらないほうの神髄」を、ただ正しくしっかり見つめることくらいが、次善の策かもしれない。


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上記はtwitterのログの再構成。話題がどんどん飛んだが、実際この流れで考えたのだから仕方ない。


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月曜日に乾杯!/イオセリアーニ asin:B0001M6IX0

★恋愛太平記/金井恵美子 asin:4087471276

★文学なんかこわくない/高橋源一郎 asin:402264270X