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【2019 輪廻転生】

数式で記述されること、言語で記述されること

物理現象は数式で記述される」といったことがよく言われる。これって「ものごとは言語で記述される」というのと同じことなのでは?

「何を今さら」と言うかもしれないが、たった今あっと気づいた感じがしたので書いておく。

「宇宙の法則は数学で書かれているんだよ(物理現象は数式で記述される)」と胸を張られても、「はー」という反応で、それの何が凄いんだ? という違和感もあった。一方、言語の万能感(ものごとは言語で記述される)のほうは個人的に内心で強力に感じられ、しかしむしろその理由が謎だった。

その2つの違和感と謎が、互いに「あ、そういうことなのか、だからそれでべつにいいんだ」と、急になぜか溶け合ってしまった・打ち消し合ってしまった、という感じ。物理現象が数式で表せるなら、ものごとが言語で表せても、かまわないだろう、疑っても仕方ないだろう、という感じ。

 

ところで、さっきそう思ったとき何をしていたか。高校の教科書『新編 物理基礎』(啓林館)を読んでいた。それが何故かというとーー

ある動画で川上量生さんが、「微分方程式」を理解したいと思ったが、それにはまず微分方程式の用語が理解できないとダメだとわかり、4か月ほど集中して数学を勉強してました、という話をしていたことによる。なるほど ものごとは基礎の理解が不可欠なのだと改めて反省したからだ。

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ではなぜ川上量生さんの話に耳を傾けたのか。それはもちろん「ZEN大学の爆誕」という驚愕、加えて先日の鼎談(以下)の驚愕によって、この人物をスルーするわけにはいかなくなったからだ。

shirasu.io

 

ここ3〜4年の時代は、新型コロナ感染症そしてプーチンウクライナ破壊の2つに大きく彩られていた。そういう大ざっぱな括りをするならば、この先の少なくとも数年は、川上さんという人物が、ここまでの時代を塗り替えるぐらいの働きをするのではなかろうか(ちょっとそれぐらいの衝撃を覚えた)

 

さて、もう1つの「ものごとは言語によって記述される」についても一言。

先日読んだ『分析哲学 これからとこれまで』で、飯田隆さんが、次のことを、改めてしみじみと呟いていたのだった!

《……もっとも重要な問題、すなわち、なぜ言語は絵と違って「もっとも普遍的な表現手段」であるのかという問題が、まだほとんど手付かずで残っていることは、私も十分に承知している

あ、やっぱり、<言語は他の記号体系とは本質的に異なってなんらかの万能性を持つのかな>、少なくともその可能性は否定しなくていいのかなと、確信したというか、勇気づけられたというか、そんな思いを持ったのだった!

分析哲学 これからとこれまで - 株式会社 勁草書房

 

というわけで、物理の数式「Q=ΔU+W」を理解することは、言語の連なりである「気体に加えられた熱量は気体の内部エネルギーの変化ΔUと気体が外部にした仕事との和に等しい」を理解することと同じであり、ひいては哲学や文学あるいは誰かの主張やツイートを理解することも基本的には同じだろう。

 

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川上さんといえば、以下も面白かった(7月9日)

川上量生さんは、AIに関する認識が、松尾豊さんと、まったく同じレベルで詳しく深いのだと、確信されてくる。ともあれ、AIとは本当は何なのか、群を抜いて勉強になる動画だと思われる。

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人間はものごとを粗く眺めつつなぜか核心をぱっと把握できる。しかしAIはそれが原理的に苦手だという。AIは「次元数を相当多く使って認識してるので、全体の再現性は高いけれども、抽象化能力は人間よりは低い」(川上さん)

この違いは、ロボットに物を掴ませるのが難しいこと、さらには、現在のAIが画像は得意でも映像が苦手なのと、同じ違いだと言う! しかもそこには時間経過が絡むことが関係するらしい。