東京永久観光

【2019 輪廻転生】

たゆたう旋律そして人生


2.12に書いたアン・サリーの「蘇州夜曲」が手に入る。これはまいった。酔いしれてしまう。CDの他の歌もいいが、この一曲が私にとっては抜きん出ている。

歌声はまさに水路をゆく舟のごとし。上下の揺れをしっかり含みつつじつに滑らか。旋律は4小節のまとまりが4つで出来ていて、似ているようで少しずつ変わる。これもいわば舟からの眺めみたいなものだろう。「水の蘇州の 花散る春を」と歌う3つめの旋律がとくに好きだ。「蘇州」の「そ」が曲中の最高音で、アン・サリーはそこを少し延ばして「そーしゅうのー」と歌っている。これがまた心地よい。

部屋のなかで音楽はたいていBGMと化すのだが、このような歌は詞にも耳を奪われる。やわらかい和語がつながって春の情景が浮かんでいく。言葉が行う当たり前の仕事かもしれないが、その鮮やかさを同時進行で味わう。

なお、「蘇州夜曲」は1940年に映画『支那の夜』の主題歌としてリリースされたという(西条八十作詞、服部良一作曲)。そんなことからコロニアルなムードというのが、この歌からは切り離せないようだ。とはいえ、「蘇州夜曲」を今聴いて感じる切なさが、そうした歴史を踏まえてのものかどうか、私にははっきりしない。あるいはむしろ、かつて存在した日本の植民地の幻というものをつい仮想的に(私は戦中の人間ではないので)惜しむからこそ切ないのかもしれない。それはちょっと困ったことなのか‥‥

しかしまあ、そんな複雑な事情にいくらか絡めとられつつ、舟に揺れる二人のはかなさ、それこそがなにより切ないのだろう。

 花を浮かべて流れる水の
 明日の行方は知らねども

諦観まじりの漂泊。なんとも言えない気分。

ところで、現在の蘇州は、郊外にハイテク産業のひしめく巨大開発区を有し、日本企業がこぞって進出しているという。今も昔も激動の中国大陸。そこで一山当てる日本人も中国人もいるだろう。それと裏腹に、低賃金の出稼ぎに出向く漂泊の日本人もいる(以下は大連の話だが)。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/tatenarabi/news/20060105ddm002040010000c.html

ともあれ、春のはかなさ、恋の切なさ。時代はどうあれ、事情はどうあれ、そうしたものに立ち止まる人もいれば、立ち止まらない人もいるのだろう。

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アン・サリー『ムーン・ダンス』 ASIN:B00008CHEH
試聴→http://www.jazzshopping.com/titles/detail.php?tid=291


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上記の文章で『支那の夜』を満州映画と書きました。以下のデータによります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/満洲映画協会
しかし、以下のデータでは日中合作とされています。
http://www.jmdb.ne.jp/1940/bp002370.htm
とりあえず、文章から「満州映画」という記述を削りました。(3.14)