東京永久観光

【2019 輪廻転生】

★アンダーグラウンド/エミール・クストリッツァ(1995年)

 アンダーグラウンド 2枚組 [DVD]


バルカン・トラッド・パンク?

活動家のマルコと女優のナタリアは盟友たちを騙して地下室に閉じ込めている。その裏切りの罪を忘れ去ろうとするかのように二人は愛欲に溺れる。

そのシーンで流れていた音楽が「異国風パンク」とでも言いたくなるインパクトで心地よかった。特にリズム。それでサウンドトラック(CD)を買った。asin:B00006JOP6

「Ya Ya (Ringe Ringe Raja) 」という曲。YouTubeでも聴ける。

http://www.youtube.com/watch?v=LeTS0GZ-2pE

この地域の民謡みたいなものか。映画音楽を担当したゴラン・ブレゴヴィッチの歌と演奏。この人は「バルカン半島民族音楽やロマの音楽を現代風にアレンジした作風で知られている」という(Wikipedia

ただし映画を見ているときは、CDや上の演奏よりテンポが早かった気がする。場面と映像の焦燥感からくる錯覚か?

もうひとつ映画のシーンとともに強く印象に残った曲がある。

http://www.youtube.com/watch?v=VqfCjJNL5LA

内戦の戦闘に巻き込まれ、その二人は火を放たれて死んでいく。炎に包まれたマルコの車椅子が、この悲しい旋律とともにぐるぐる回りながら燃え尽きていく。「War」というズバリのタイトルがついている。


愛国者とは?

映画の冒頭 ナチスベオグラード空爆する。ちょうど朝飯を食べていた電気工のクロという男は、窓から空を見上げ、怒りと憎しみをぶつける。「俺の町を爆撃しやがって!」

このシーンをみてふと考えこんだ。国と国が戦争を始めたとき、人はまず「俺の町がやられている」と感じるのか、それとも「俺の国がやられている」と感じるのか。それが区別できない人(それを区別しない人)を「愛国者」と呼ぶのだろうかと。

その答はわからない。しかしともあれクロは「愛国者」のイメージだ。そしてそれから数十年後、クロはユーゴ内戦の前線で果敢に闘っている。こんどは自分がどこと戦っているのか誰を殺しているのかはっきり言えない。しかしあの憎しみと怒りはずっと保たれてきたようにみえる。

「俺の町を爆撃しやがって」という怒りにも「俺の国を爆撃しやがって」という怒りにもまったく共感しない立派な人ばかりであれば、戦争は起こらないのだろう。私はしかし、クロのような感情を抜きにしたら自分の町や自分の国というものを愛するということがわからない。


すごい戦争、すごい映画

ユーゴスラビアといえば1990年代の内戦のイメージが強く、『アンダーグラウンド』もそのさなかの1995年に作られた。しかしストーリーは先に述べたとおり1941年の空襲から始まり冷戦期へと至る。それぞれ実際の記録フィルムも挿入される。そんなふうにしてこの映画は、何も知らないユーゴスラビアの現代史を少しばかり知る機会になった。

その点は『旅芸人の記録』(テオ・アンゲロプロス asin:B0001FAGRQ)でギリシアの現代史に触れられたのと似ている。『旅芸人』が暗く深刻なトーンであるのに比べ、『アンダーグラウンド』は「狂乱」という形容がふさわしく、また奇想天外な展開でもある。しかしどちらも、扱っている史実の重みのゆえか、あるいは過剰なほどの演出のゆえか、「ただの映画なのだ」という思いはどこかで破られていく。破格ゆえの傑作。そういった印象もまた共通しているのだ。そして、いくら過剰な映画製作であろうと、戦争によって負った傷の深さにはおそらく到底かなわないのだと、『旅芸人』で思ったのと同じことを『アンダーグラウンド』でも思った。

ちなみにユーゴの戦争にはその前があり、それがまた凄かったようだ。セルビア時代の第一次大戦では男性人口の半数が戦死したとか!。それから、えっと思ったのは、ユーゴスラビアは一時期、日独伊三国同盟に加わったことがあるらしい! (以上Wikipediaによる)


奇跡のラスト

ラストシーン。死に別れた肉親や親友たちが一堂に会し、分かり合い、許し合う。

そんな奇跡がこの世にありうるのか? そう考え、そして「インターネットのログによってなら可能ではないか」と思った。たとえそれを残した全員が死んでいたとしても、そのログをたどりそのログを再び結びつける誰かがいるならば。(私の父と母もずいぶん前に死んだが、仮に当時ネットにはまって毎日毎日ツイートしていたとしたら、私は今そのログを一つずつたどり、多くのことを発見するだろう)


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ずっと見たかった映画だが、少し前にDVDのレンタルが始まったようで初鑑賞となった次第。

◎旧DVD asin:B00005LJV6