東京永久観光

【2019 輪廻転生】

大河ブログ


sujakuさんの「学校給食を軸とした、ニッポン食文化変遷史。13回分を通して読んでみた。これはもう「大河ブログ」と呼びたい。

給食が日本の食をダメにした。この持論をじっくり検証しようとの動機で書き起こされたようだ。たとえばパン食の普及に関して、米を食べると子供の頭が悪くなると唱えた慶応医学部の教授がいたとか、アメリカで大量に余った小麦が日本に持ち込まれたとか、聞き捨てならない背景も引っぱり出される。やがてマクドナルドやファミレスの存在も絡んでくる。自身が子供の頃いったい何を食べていたのかも詳しく記述せずにはいられなくなる。郊外化し電化していった住環境にも視線は自然と向く。かくしてこの語りは、戦後日本の文化や社会から政治経済にいたる様々な流れを集めながら、実に大きな川幅になっていく。

あっと虚を突かれたのは、村上春樹が召喚されたところ。《…村上春樹の小説を読んでいると、おれは微笑みながらよくおもったもんだ、「ねぇ、たまには日本蕎麦でも食べたらどうだい?」》。これは勢い余ったジョークだというが、まったく痛し痒しのジョークだ。

なにか一つの問いを徹底して探りだし語りだせば、どうしてもこうなるんだなあとつくづく思う。実はリチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』を思い出しているのだが、べつにオーバーではない。私がsujakuさんと同世代であるらしいことが共感と信頼を支えていることも間違いない。だからTレックス「チルドレン・オヴ・ザ・レヴォルーション」とか南沙織「17歳」とかがぽっと出てきても、どうも他人事ではない(と思い込める)。たとえば矢作俊彦『ららら科學の子』も同じく戦後の変遷を眺めていたし、阿部和重の『シンセミア』ならパン食の普及まで絡んでいたのだが、残念ながら同世代の書き手という思いはわかない。

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私は小学校が給食だった。最初はコッペパン脱脂粉乳で、途中から食パンと牛乳に変わった。ちなみに木造校舎と木製の机だったのも、途中から鉄筋コンクリートの校舎とスチールの机に変わっている。いつだったかその給食の時間に、友人の座る椅子をそっと後ろに引くという悪ふざけをしたところ、みごとに尻もちをつき、その拍子に手に持っていたアルマイトの器からポテトサラダかなんかが飛び出して板壁まで飛んだ。怒られてすぐ板壁を雑巾で拭いたはずだが、その学年が終了して教室を去る時にもその跡がまだ残っていたのを覚えている。

中学は弁当だったが牛乳だけは支給された。例にもれず早飲みに命を賭けるやつがいて、その瞬間に笑わせるやつもいた。うまいぐあいに噴き出した一人がけっこう色黒で、顔全体に広がった飛沫の白さとの濃淡が忘れられない。遊んでばかりの1年生の学級だった。楽しかったなあ。

う〜む、sujakuさんにつられて私も回想モードに入ってしまった。給食の話となるとやけに盛りあがり、いくらでも記憶の奥深く進んでいくのは不思議だ。このあいだテレビでやっていた映画『おもいでぽろぽろ』でも、おかずの残りをパンに挟んで持ち帰るというエピソードがあった。

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sujakuさんのサイトは『コンビニ研グルメ班』という。由来は知らないが、諦観や自嘲も匂わせつつ、しかしそうした時代や自分のアイデンティティに責任は引き受けましょうといった姿勢だろうか。このサイトのような、オレの拘りや語りはどうしてもこれをめぐってしまうんだという一筋の糸があるかないかは、ブログの最終的な面白さを決定づけると思う。

そうした個性と心情に裏打ちされた弁であれば、同じ言葉でも説得力が違う。どこを取り上げてもいいが例えば―《もはや茶の間のテレビとスーパーマーケットと冷凍冷蔵庫はひとつの共犯関係のごときものとなり、食は、産業に依存するようになった。一方でプロの味が持ち上げられ、他方で、冷凍食品とレトルトが量産され、各家庭の冷凍庫に入ってゆく。もはや、おふくろの味、には実体もなくなり、伝承も消えかけてゆく。》 あるいは、給食の味覚がファミレスの味覚を準備したという分析などなど。

だからまあ、放っておけばめし時には必ず平気でファミレスに入って日替わりなど頼んでしまう私など、まさに戦後産業食の申し子だ。食べる物もブロイラーなら、食べる私もブロイラー。しかも、料理が趣味でなく労働としか感じられず、大量生産と大量消費でそこそこまずくなく腹がふくれて、その代わりに家で朝寝坊や昼寝ができるなら、産業食OK!と言ってしまいそうな国賊ですらある。しかし食の産業化が、幸福の産業化や人生の産業化という事態をも覗かせているのであれば、それはやっぱり拒みたいか。

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sujakuさんのお母さんは兄弟が戦争で死んだそうだ。繰り返しになるかもしれないが、人がなにかをじっくり語り始めれば、戦時からの日本や自分史を掘り起こさざるをえない。それがそのまま自らの世界像の提示や検証となっていく。小説などもけっこうそういう力学に支えられているように思う。そのとき、戦争の影が自分の生活や身内のなかに直に立ち現れてくる世代は、まだ少なくはないだろう。

父母の生い立ちにも思いは自動的に至る。sujakuさんのお父さんは《猫の脳細胞で論文を書いた》! お母さんはお母さんで、訳あって夏目漱石への恨みをそっと抱えていたことが判明する。私のもういない父母はまあ路傍の石だからそんなブリリアントな一面など隠し持っているわけがない、とも絶対には言い切れないような気もしてくるのだった。