東京永久観光

【2019 輪廻転生】

シェ〜


映画『20世紀少年 第2章』はすぐ見に行ったのだが、2015年東京の都市風景を大俯瞰で眺めさせられ、どこか『ブレード・ランナー』っぽいなと妙に懐かしくおもいつつ、強大な権力機構が徹底支配する近未来には、なぜか「場末のアジア料理は妙に旨そうになる」という法則に思い当たった。ブレード・ランナーでは屋台のうどん(*あれはうどんではないらしいが)、20世紀少年第2章ではカンナが働く歌舞伎町の中華料理屋。

そんなこともあって、きのう金曜の夜は、渋谷センター街の人混みをかきわけ、上海食堂へ久しぶりに行った。新メニューも充実。チンゲンサイ炒めとエビチリをかけたチャーハン(600円)を食べる。緑、赤、黄。大盛り。べつに頼まなくても最初から大盛り。

参照http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20080426#p1

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20世紀少年』の主人公たちは1960年の生まれ。彼らが10歳前後だったころの日本の出来事や風景がストーリーの中でよみがえる。

これまで日本では、戦後を懐かしむ物語というと、きまって団塊の世代の視点だったと思う。すなわち「戦争が終わって僕らは生まれた♪」の世代。『ALWAYS 三丁目の夕日』なんかもまさにそうで、「ノスタルジーという特権」は今だにこの世代の専有かとちょっと苦々しく感じた(監督は若い)。団塊の世代は人口がいびつに多いうえに、日本の高度成長と彼らの成長期とが重なってもいるから、仕方ないとはいえる。しかし実は彼らはずいぶん若いころから昔を懐かしむのが好きだった。村上春樹風の歌を聴け」にしても、1969年のことを1979年には早くも大昔のごとく振り返っている。「『いちご白書』をもう一度」は1975年のヒット曲だが、1970年前後の学生運動をすっかり過ぎ去った青春として歌う(作詞作曲のユーミン自身は世代が若いがおませさんだったのかもしれない)。以後そんなことがあまりに長く続いてきた。

団塊の世代から10年ほど後に生まれ、その陰でずっと目立たなかったケンヂたちの世代は、静かに黙って中年になった。しかしとうとうこの世代にも、自らの国の歴史を自らの少年時代として回想できる順番が回ってきた! 『20世紀少年 第1章』の冒頭、T.REXの「20th Century Boys」が耳に飛び込んできた瞬間、私はもう喝采したくなった。原作の浦沢直樹もケンヂの世代。かつては「新人類」とも呼ばれたことをみんな知っているだろうか。万国博覧会太陽の塔よ、ほんとに久しぶりだね。いったいどこに行ってたんだよ(じつは大阪にずっといたのです)。

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20世紀少年 第2章 最後の希望 asin:B001LF3QNG
ブレード・ランナー asin:B00006AFZ6
◎ 20th Century Boys http://www.youtube.com/watch?v=Ylww2dOW7fg


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(以下追加)

時代の推移がいつまでたっても団塊世代の視点で眺められるのは、1945年以降、日本には区切りとなる大きな出来事や年が見あたらず、けっきょく今なお「戦後」がずるずると長く続いていることが背景にあるのだろう。

この「戦後が長い」ということに、大澤真幸不可能性の時代』(岩波新書)が冒頭で触れていたので、へえと思った。

ところで、日本近代史の専門家キャロル・グラックによれば、第二次世界大戦終結してから六〇年以上も経過しているのに、なお「戦後」という時代区分が活きているのは、日本だけである。たとえば、同じ敗戦国であっても、ドイツやイタリアでは、「(第二次世界大)戦後」という一つの時代が持続しているという感覚は、失われている。それに対して、日本ではいまだに、「戦後」という時代区分が有効である。たとえば、安倍晋三が、首相として「戦後レジームの解体」をスローガンに揚げたとき、その語が通じたのは、日本人の中にまだ「「戦後」が活きている」という感覚があるからだ

それで大澤は、単に「長すぎるから」というわけでもないのだろうが、戦後の日本を「理想の時代1945〜1970」と「虚構の時代1970〜1995」に区分できると考える(元ネタは社会学者の見田宗介によるという)。

その虚構の時代は阪神淡路大地震地下鉄サリン事件の1995年に終焉したと大澤は見ているのだが、では、以後現在までの日本はいかなる時代なのか。大澤は「現実へと逃避している」時代だと言う。この言葉に私は直感的に大きくうなずいてしまった。なるほど、現実への逃避か。

最もシンプルな例は、リストカットに代表される自傷行為の流行である。自らの体の上に生起する直接の痛みは、どんな現実よりも現実らしく、現実を現実たらしめているエッセンスを純化させたものだと言ってよいだろう。世界最終戦争やテロ、あるいは戦争のような極限の暴力への指向性をもった、宗教的あるいはナショナリスティックな熱狂もまた、「現実」への逃避の一種である。あるいは、激しい事件や戦争の現場に行ってみたいという若者たちの衝動も、同じ傾向に含めてよいだろう。若者たちの文化を中心にして、この種の激しい「現実」への愛着・情熱の例は、枚挙にいとまがない。あるいは――日本よりも欧米で流行していることだが――「虚構」のドラマに飽き足らないテレビ視聴者は、「リアリティ・ソープ」(特定の男女の実際の生活そのものを「ドラマ」として放映するテレビ番組)のような、まさに「現実」そのものをショーやドラマとして享受し、楽しむが、これもまた、「現実」への熱狂のひとつに数えておいてよいかもしれない

「現実への逃避」という言葉から、私は、ふと橋下大阪知事を思い浮かべたりもしたが、それ以上に、たとえば道路交通にしてもテレビ放送やネット通信にしても金満マンションの出入りにしても現実のインフラが立ち塞がることで人々の行動をあっさり直接規制できてしまう状況、しかもそこで人々は日々の欲望という現実はむしろ簡単に充足できて順応してしまうような状況、ということを思うのだ。

そうするとこれはもちろん東浩紀の見解に基づくのだが、大澤もすぐにそれを指摘する。

東浩紀は、「理想の時代から虚構の時代へ」という戦後史の転換に関する私の論を受けて、虚構の時代のあとに、「動物の時代」と名付けた新しい段階がやってきている、と論じている。このとき注目されていること(のひとつ)は、やはり、「現実」への逃避である

こんなふうな序章を踏まえて同書は本論に入っていく。まず「理想の時代」の分析。そこでは、「鬼畜米英のはずだったアメリカの占領を日本国民はなぜこうも抵抗なく受け入れたのか」という、これまたまったく不思議だと常々感じてきた問いも追求される。「虚構の時代」では、映画『家族ゲーム』、東京ディズニーランドの開園などを題材として挙げ、当然のことながら1979年デビューの村上春樹にも言及する。

ちなみに大澤真幸は1958年生まれ。『不可能性の時代』では、浦沢直樹20世紀少年』と大阪万博にも同じく冒頭で触れているので、これも興味深い。

戦後が長いなあということは過去にも書き留めている。どうせなら「笑っていいとも!」がスタートした1982年くらいを区切りにしてはどうかとも。しかし「笑っていいとも!」自体がタモリ降板の噂もあるくらい長いのだから、その「後期戦後」もいよいよ終焉か。
http://www.mayq.net/junky0301.html#15

ちなみに、そのとき読んでいたのは小熊英二〈民主〉と〈愛国〉』だった。それによると、日本の戦後思想は五五年体制と六〇年安保闘争でじつは一つ大きな曲がり角を迎えている。

……というわけで、ここまで書いたこと全体の答えはもとより、問い自体が何なのか自分でも分からないが、『不可能性の時代』は、なんらか示唆的な一冊になるような気がする。これから先を読む。

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◎ 不可能性の時代 asin:4004311225
◎〈民主〉と〈愛国〉 asin:4788508192
◎〈民主〉と〈愛国〉を読んで:http://www.mayq.net/minsyutoaikoku.html