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【2019 輪廻転生】

タイミング

●資本制や国家への対抗運動として柄谷行人氏が提唱した「NAM」(解散)。それと関わりの深かった地域通貨プロジェクト「」。これらのメンバー間で熾烈な内紛劇があったとの噂は聞こえていたが、その核心とおぼしき経緯の詳細がQプロジェクトのサイトに公開されている。『重力02』でもそのことに触れていた鎌田哲哉氏がまとめたもの。http://www.q-project.org/q_kyoto.html ●これを読む限りでは、NAMのQへの介入と柄谷行人氏らのそのやり口は、なんというか性根が腐っている。逆に、Qを立ち上げた西部忠氏からは真摯さと粘り強さが伝わる。●この手の確執は、当事者としては白黒つけたいに決まっているが、それでも、細かく見つめ直す作業のうんざり感もまた並大抵でなく、結局うっちゃってしまうことが、ままあるのではないか。しかし、曖昧さにまぶして不正義を問わないぬけぬけとした正義の顔ほどタチの悪いものはない。その義憤にかられたがゆえに、ここまでの徹底究明がなされたのだろう。これまで『重力』などから感じられた鎌田氏の直球勝負の信念が、そのまま貫徹された印象だ。ここにはアイロニーはないが、ロマン主義でもない。

●実は、柄谷行人の本を久しぶりにじっくり読んでいた。『終焉をめぐって』。昭和が終った1989年に書かれた評論が中心。ここで柄谷氏は、日本の近代史(および文学史)について独創的で決定的なパースペクティブを示す。それを基にした実に刺激的な観点から、大江健三郎万延元年のフットボール』を評価し、逆に村上春樹1973年のピンボール』を批判する。しかもこのパースペティブは、明治以来のナショナリズムの起源を考えるのにも大いなる示唆をくれる。そんなわけで、私としてはまた一つ永久保存読書となった。●ここになにか書こうと思っていたところだったのに、なんだかタイミングが悪い(べつに柄谷氏の言動と著作それぞれが互いの価値を上下させるわけではないのだが)。同書の感想はいずれ、今の気分のほとぼりがさめたころに。

●そうそう、『終焉をめぐって』を読んだことで、『万延元年のフットボール』の面白さもまた改めて思い起こしたところだった。のに、その大江氏が自衛隊派遣をめぐるエッセイ「私は怒っている」がリベラシオン紙に掲載されたそうで、それに対する内田樹氏のあまりに鮮やかな批判に出くわしてしまった。http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3949/03.12.html(12月2日) 大江氏の思考の真芯を捉えてぐうの音も出させないような一撃。●『万延元年のフットボール』にはあったはずの懐の深さというものを、こういうときはついつい欠いてしまうのか、大江氏。

●ついでながら、柄谷行人の名は今や大学生のコモンセンスでもなくなったと、北田暁大氏がインタビューで述べていて、そんなものかと思った。http://media.excite.co.jp/book/interview/200311/p04.html ●なお、このインタビューを読むかぎり、「アイロニー」と「ロマン主義」の用語はとくに深く考えこむ必要はないようだ。というわけで、さっきも流行語みたいにして使った。


終焉をめぐって/柄谷行人
終焉をめぐって (講談社学術文庫)