東京永久観光

【2019 輪廻転生】

普通に生きるための技術

古谷実ヒミズ』を読んだ。無力感のうえにイラだちがつのってキレる寸前。そう、今という時代の避けがたい空気とは、まぎれもなくこういうものだ。それを私たちはこの漫画によってはっきり自覚しつつ分かち合う。冒頭から結末までその共感はまず消えなかった。●顔のインパクトがとりわけ強い。どうにもやりきれない人物が次々に登場し、ここぞというところでアップになるが、その表情はどれもほんとうに醜く、痛い。過剰だが誇張ではない。あんな表情は、そしてそこから読み取れるこんな醜さやこんな痛さは、やはり10年前、20年前なら、まだ存在していなかったのではないかと思った。●さてそのうえで、ちょっとネタばらしになるけれども、一言。主人公の少年は、世の中は凡庸であると悟り、だからただ普通であればよいと願っているのだが、にもかかわらず、その世の中の凡庸さゆえに、その普通であることがどうしても困難になっていく。それが父親を殺すこと、最後は自分が死ぬこととなって現れる。しかし、多くの人にとって、不条理とは、殺したり死んだりのどうにか一歩手前あたりで、それこそ凡庸にじくじくと蔓延しているのだと思う。それはストーリー中にも、いじめ、貧困、拝金、リストラ、ストーカーといった形で現れている。そこからすれば、殺す・死ぬという難題と挑戦は、けっして遠くはないけれど、やはり向こう側に行ってしまうことだ。言いかえれば他人事だ、漫画事だと、それこそ私たちは悟っているのではないか。そこをどうにかこちら側だけの話で持ちこたえつつ盛り上げていくという方法もあったのではないか。●借金を作って金をせびりにくるだけの父親をブロックで殴り殺して地面に埋めてしまう話のほうが、友人が何ヶ月もかけて完成させた漫画の原稿にうっかりコーヒーをこぼしてしまい怖くて逃げ出す話より、ずっと辛く苦しいとは必ずしも言えないのでは? ということ。いや、でもやっぱり殺しや死が免れないことこそが重要なのであって、それはやっぱり殺しや死の話によってしか描けないのか? どうだろう? ●ちなみに、稀に出現するあの化け物のほうは、漫画事だなどとは感じなかった。

宮台真司宮崎哲弥の対談本『ニッポン問題』では、『海辺のカフカ』を認めない二人が、そろってこの『ヒミズ』を絶賛している。特に宮崎氏は02年の文学ナンバー1に推奨し、「カフカくんで救われたり、癒されたりした連中は、『ヒミズ』を読んで絶望の淵に突き落とされるがいい!」と結んでいる。『ニッポン問題』はイラク北朝鮮ナショナリズム、日本経済などを縦横無尽に語っていて「なるほど」の連続だったわりには、あとから思い返すと「え〜と、どんなこと言ってたっけ?」という消耗品的な本だったかもしれないが、この『ヒミズ』のことだけは印象に残っており、それで読んでみて、正解だった。●流れに合わせて『海辺のカフカ』と比較するなら、ごく単純なことだけれど、たとえば現実社会でナマの人間を傷つけたり殺したりすれば、きっとこうした苦しさがまとわりつくのだろうということを、『ヒミズ』はありありと感じさせるのに対して、『海辺のカフカ』にはそういう現実感は薄い。ただ、『海辺のカフカ』は、いってみれば「春樹社会」としての強いリアルさ(なんだそれ?)は保っているので、なお読む価値があると思うのだが。●ついでに、最近見つけた『海辺のカフカ』評を一つ。当っていると思った。