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【2019 輪廻転生】

★世界は「関係」でできている/カルロ・ロヴェッリ

カルロ・ロヴェッリ『世界は「関係」でできている』

https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000818812021.html 

量子力学をめぐって、いかに存在するかだのなぜ存在するかだの言ったけれど、また読むのはこうした一般書。とはいえ、このわりと薄い本は、基礎だけ書いたのではない。一般書でありつつ最上階にある独自の窓から独自の眺めをぜひとも見せようとする。

 

この人の本はとうとう3冊目。
https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2023/06/22/000000
https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/20170721/p1

 

関係とは?

「Aさんってどんな人?」 B「暗い人だ」 C「たしかに暗い人だね」 しかしそれはAさんとBの関係やAさんとCの関係が暗いだけで、Aさん自体が暗いとは限らない。DにとってAさんは「明るい」かもしれない。性格とは個人の形容や性質ではなく、個人と個人の<関係>の形容や性質でありうる!

他人との交際が非情のミッションとなる青年期に、そんなことを考えたのを思い出す。ロヴェッリの言う「関係」が何なのかは、正確に把握しないといけない。しかし、こうした類推を明らかに促す刺激的な一冊になっている。

君や私という人物は実体ではない。宇宙に広がる因果や法則のネットワークの中で、1つの網の目としてたまたま浮上しただけーーそんなことをインド思想や仏教は説いたというが、じつに似た話だ。著者もそう指摘する。実体はリンク、ノードは幻か。世界の実体は関係。

同書では特にナーガールジュナの「空」(大乗仏教)を参照している。この共通性はしばしば語られるが、実際の理解にも役立つと思う。(もちろん仏教で神秘化しなくていい)

 

さてさて、世界は「関係」でできているというテーゼのエッセンスとして、2つほど引用しておく。

マッハの提案のなかでもとりわけ根源的なのが、現象を対象物(客体)の発現と捉えるのではなく、対象物のほうを現象間の結び目(ノード)として捉える、という着想だ》(p.131)

わたしたちが見つけた最良の現実の記述は、出来事が織りなす相互作用の網の観点からなされたものであり、「存在するもの」は、その網のはかない結び目でしかない。その属性は、相互作用の瞬時にのみ決まり、別の何かとの関係においてだけ存在する。あらゆる事物は、ほかの事物との関係においてのみ、そのような事物なのだ》(同書の結末に出てくる。抽象的だけど)

 

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物理的に構成されているはずのこの世界にとって、そもそも「情報」とは何か、「意味」とは何かとも問う。これには、生物進化の原理を中心に据えつつ、自然主義的な立場から、おそらく正統的な答えを示す。このくだり、私が過去に読み込んだ本である、戸田山和久『哲学入門』やポール・デイヴィス『生物の中の悪魔』『生命の起源』に通じていると確信した。

 

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上記に絡んで意識の話にもなる。量子が謎であることをいわばテコにすれば意識の謎にも迫れるかもね、と。要は、意識の正体は、量子という図式で捉えるなら、別様に深まるだろうが、それとともに別様に明かされるかも!(物質の正体がそうなったごとく)

意識はこの世の何とも違って不思議なもので正体はまったくわからない(と皆が言う、私も言う)。しかし、ここで思い返していいのは、そもそも物質の正体ということだって、なにしろ不思議で、正体ははっきりしないことがむしろはっきりしてきている。宇宙の存在は全体としてヘンだと言うしかない。

ただし、ロヴェッリが「意識は謎じゃない。だってほら……」と示していく根拠が、個人的にはどこまでもピンとは来ないので、実はもやもやしている。

なお、ロヴェッリはチャーマーズネーゲルをすっかり否定している。それによって、ともあれ彼のスタンスは明らかになったと思った。