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【2019 輪廻転生】

★すごい物理学講義/カルロ・ロヴェッリ

 すごい物理学講義


この本の感想を一言でいえば「すごい物理学講義」ということになるが、それが書名なので、困る。というか、この粗雑な日本語とは隔絶して、あまりにも優雅な物理の法則が、あまりにも優雅な言語の表現によって、つづられている!

長く生きていると、「相対性理論って何だろうね」とかも3回か4回か5回はマジに考え本も読むことになろう。今回は4回めくらいだが、この本は、本当は何が存在するのかという問いに対し、驚くほど統一的なその答を、これまでで最も絶妙に説明し最もスムーズに納得させる(現在 p.89)

著者は「はじめに」でこう述べる。

《物理学に触れていると、家のなかにさわやかな風が吹き込んでくるような気分になる》。

この一節を、高校時代の暑苦しい教室で期末テストの物理学にただただ苦しんでいた自分に、届けてやりたい。こんな伝言は絶対に信じないだろうが。


〈追記 7.27〉

これほど分からないのに、これほど面白いのは、一体どういうことなんだろう。下手の横好き。たとえばこの本の著者が私のこの本の理解を知ったら、唖然とするだろう。認知症の人の気持ちがだいぶわかるよ。

それでも著者は、核心のイメージを、私たちにもなんとかつかめるよう、さまざまな工夫をこらし、描こうとする。私が最もありがたいと感じるのは、かつては わけがわからないはずだったものが、今はわけがわからないわけではなくなった例を、いくつか示していること。

つまり、昔の人は地球が丸いと言われても理解できなかったはず。昔の人はボールの動きと天体の動きが同じと言われても理解できなかったはず。それは私がいま、時間と空間は仮の姿で本当はそんなものはないと言われても理解できないのも、同じことなのだ!(…と言い切るほどの信念はもてないが)

そして、両者の中間くらいにある、たとえば時間や空間が伸びたり縮んだりするという話なら、私たちも かすかに理解できるようになったではないか。電子が確率的に分布したり離散的に出現したりするという話も どうにか理解できるようになったではないか。

時間や空間があると感じるのは、大地が平たく感じるのと同じ錯覚にすぎず、それどころか、この世に存在するのは実体ではなく関係だけなのだ、なんていう話も、この先1000回くらい聞かされることで、「そりゃそうでしょ」と、いつか平然と言うようになるのだろうか、この私たちが。

そしてこの本は、最後の最後に「情報」という視点を持ちだしてくる。宇宙の謎を解く鍵というなら、先の「関係性」に並ぶ、最良の視点だと私もうすうすは思っているので、本当におもしろい。しかも熱の謎が解けた歴史をそこに重ねてくるので、やっぱりこれは、ただボケてばかりもいられない。


〈追記 7.29〉

ところで、『すごい物理学講義』の著者が提唱する「ループ量子重力理論」については、かなり昔 ちくま新書で読んだことがある。このときも核心は、この世に実在するのは「モノではなくコト」なんだよ、という点だった。鮮明に覚えている。

 世界が変わる現代物理学 (ちくま新書)
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20041009/p1(読書記録)

この ちくま新書『世界が変わる現代物理学』の著者は竹内薫で、『すごい物理学講義』では監訳を務めている。

なお『すごい物理学講義』は読み始めから一貫して日本語がとても心地よいのもまた印象的。訳は栗原俊秀という人。とりわけ、ダンテが『神曲』で示した天と地の構図が、実は4次元的宇宙を内側からイメージする形に近い、という話の生き生きした語りには、著者と訳者の人文的想像力の一致を感じた。

こうした自然系と人文系の探究が一体だったのが古代ギリシャで、それもあってか、同書はデモクリトスの原子論から始まる。この世の事物または現象には最小単位があって無限に細かくはならないとみる著者は、その原理の始祖をデモクリトスに見出すのだ。

そしてデモクリトスに関するもう1つの評価に、私はいっそう惹きつけられた。彼はこの世界を目的論としては眺めなかったというのだ。ところが正反対にアリストテレスは「物体はその本来の位置を目指して動く」とみた。

しかも、デモクリトスの著作は散逸したのに、アリストテレスの著作ばかりが残って西洋思想の礎になったという(それを著者は残念がっている)。さらに面白いのは、アリストテレスは魂の不死を信じていたのでキリスト教にもいくらかなじんだが、デモクリトスはそうではなかったという指摘!

この「目的論〜魂の不死〜キリスト教」というつながりを読んで、私はあっと思った。無神論を自称することに最近決めた私が、それでも神様のようなものを内心に仮想してしまうのは、この世界(宇宙)をどうしても目的論として描きたい・考えてしまうからなのではないか! 大変なことに気がついた。

つまり、宇宙が現れたこと、地球が出来たこと、生物が生じたこと、人間に進化したこと、そして私がこのように生きて死ぬこと、それらは100%偶然でしかないという信念(それが無神論)を持つにも関わらず、そうはいってもやっぱりなんらか根拠や目的(神)を求めてしまう。矛盾といえば大矛盾。

そして、きょうはもうこれくらいにしておくが、宇宙は「モノではなくコトだ」「実体があるというより関係がある」という理解は、宇宙の根拠の実相を刷新するという意味で、神を新たに発見したことに、遠いのではなく近いのではないか。不思議なことだが。おかしなことだが。(とりあえず終り)


〈追記 8.6〉

宇宙に実体はなにもなく、情報という次元のなにごとかの明滅だけが、すべてを築き上げている。2017年の夏の夜というこの時間も、東京の狭苦しい一室のデスクが置かれたこの空間も、いわばバーチャルなストーリーにすぎない。――『すごい物理学講義』を理解するかぎり、そのようになってしまう。

ではその場合、私が今こうしてネットに送信しているツイートという情報は、宇宙になんらかの波風を与えるのだろうか? それとも、こんなものは宇宙という情報の総体とまったく相互作用できないのか? これこそ、すごい物理学的な疑問だ!

時間や空間がすべて仮想の物語だとしても、少なくとも私には、今夜私がツイートしながら暑く過ごしている2017年の東京の夏は、実在すると言うしかない。そしてそれは、2016年の東京の夏とは違うし、1945年のどこかの夏とも違うし、2011年のどこかの春とも違うと言うしかない。

すべてのうつろいが不思議に思えてくる。そして今夜の私にかぎって言うなら、死ぬほど暑いものの、ホントに今夜死んでしまうほどではないのだから、たまたま偶然の幸運なのかもしれないけれども、「とりあえずこの宇宙、わりとOK」とツイートしておきたい。


〈追記 9.7〉
東京大学 量子力学から熱力学第二法則を導出することに成功
http://www.t.u-tokyo.ac.jp/shared/press/data/setnws_201709061614152431248138_195100.pdf
ほとんど理解できないが、先日の『すごい物理学』が思い出される…