物質の究極、その姿は「粒子」か「波動」かという問いがある。私は「粒子は物質もしくは実体」「波動は情報もしくは性質」という理解をしていたが、そうではなく、波動が物質の実体を意味しないように、粒子も物質の実体を意味しない、という理解のほうがいいようだ。
なぜなら、ニュートンなどの古典物理学でいう「粒子」は「大きさのない点」を想定したものなので、本当はボールのような実体ではないのだ。波動が数学的な仮想なら、粒子も数学的な仮想ということになる。
だがそうなると、「物質の究極の実体って何?」という疑問は、量子力学がそうしたように、古典物理学もまた最初から脇に置いていたことになる。なべて物理学とは「現象を予測・再現できる説明の体系」にすぎないのであり、それ以上でもそれ以下でもなかったのだ、最初から。
以上のことを、先日、超弦理論(超ひも理論)のレクチャーを聞いていて思った。4月27日に世田谷ものづくり学校で行われた小林晋平さん(理論物理学)の講義。
ほかにもいろいろ知った。
超弦理論の超弦(スーパーストリングス、超ひも)を、私は波動の一種と思い込んでいたが、実は粒子でも波動でもないものを想定しているようだ。ただし、超弦は「粒子がぎっしり線状に並んだもの」と捉えてもいいらしい。また、もともと粒子は波動に置き換えても説明が可能なので、超弦は「波動の組み合わせ」としても理解や表現が可能らしい。どうもそうらしい。
さてそうなると。
私はとにかく超弦理論の超弦が「実体なのか、性質なのか」という点がずっと気になっているわけだが、上記のことを私の言語感覚でまとめれば、「超弦とは性質のことを言っている」。
しかも、古典物理学も量子力学も、実は最初から仮想の粒子や波動だけを相手にしてきた。つまり、これも私の言語感覚でいえば「どちらも性質の話をしてきた」のだ。
とはいうものの、今昔の物理学者は、性質しか相手にしてきていないがゆえに、見極めようとするそれが「性質なのか実体なのか」という疑問自体を、あまり抱いていないのかもしれない。それどころか、「見極められた究極の法則」について「性質? ていうか、これこそ実体でしょ」というイメージで捉えたとしても、不思議ではない気がする。初めてそんなことに思い当たった。
小林さんはふだん高専の生徒に授業で物理学を教えている。そのせいか、物理学に拒否反応だけは持たれたくない、だけど、物理学の真髄だけはどうしても伝えたい、という涙ぐましい努力と熱意があふれているような人だった。
レクチャーの最初。「世界とは何か」という根本の問いは、たとえば「世界はどんな形をしている?」「世界は何で出来ている?」といった地に足の着いた問いに置き換えてみましょうと言う。あるいは、「物質=世界の内容」「時間・空間=世界の容れ物」という分け方ができることも示す。こうした整理の仕方に、なんて核心的なんだろうと感動した。
超弦理論自体について。私はもともとよく理解していないが、それでも理解は広まった。たとえば、超弦理論は、物質の最小の有り様を説明しているだけでなく、空間全体の有り様も説明しているらしいこと。また、超弦理論でいう弦(ストリング)と面(ブレーン)は、別の要素でなく1つの要素の違った説明であるらしいこと、など。
最も興味深かった指摘――
超弦理論は「時空のコンパクト化」という発想をする(私たちの空間は3次元に見えるが本当はそうではない可能性を開くような発想だと思われる)が、その発想に絡み、そうした不思議空間を規定するパラメーターにおいては「半径を大きくすることは、半径を小さくすることと同じになる」と言うのだ!
言い換えれば、「最も小さな世界(ものの最小単位のような世界)」と「最も大きな世界(宇宙の全体のような世界)」とが「実は同じ」といった事態だ。
何が「同じ」かというなら、それはやはり、「性質」が同じであり、かつ、「実体」もまた同じである、といった意味だろう。私の言語感覚ではそうなる。
そんなこんなで、超弦理論は太古の宇宙像によくみられる「ウロボロス構造」を裏付けてもいます、という話に着地するのだった。
あともう1つ。小林さんによれば、リサ・ランドールの五次元論は反証のできない理論らしい。以前ちらっと読んで「霊界の説明みたいだ」という感想を抱いたが、あながち間違っていなかった。
◎参照:http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20080301/p1
宇宙には、私たちがなじんでいる物質や時間・空間がそのままの姿で実在しているとは言えない。究極なんらかの情報の明滅があるだけだ。――といった説明はかなり正しいのではないかと、最近また考える。佐藤文隆さんの本を読んで以来。http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20121224/p1
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ちょっと補足。量子力学は、電子などが1点に存在していることを前提にしないが、だからといって「電子などの姿が波動だ」と言っているわけではない。ただ、電子を観測して明らかになる位置の分布をみると波動の形になる、ということだと思う。