東京永久観光

【2019 輪廻転生】

★無限の始まり/デイヴィッド・ドイッチュ 

 無限の始まり : ひとはなぜ限りない可能性をもつのか
 =その後のメモ=


第5章「抽象概念とは何か」


日常の現象は、基本物理学(水分子の初期条件など)で表わすには途方もなく複雑だが、幸いなことに、非常に簡単な物理量(水の体積や熱源の出力など)によって予測できる。こうした、より高レベルでの説明可能性への変化を、創発と呼ぶ。

この章は上記の内容から始まる。どうやら著者は、還元主義は、役に立たないだけでなく、この世界を本質的には説明できない、と考えている。

しかもなぜか、全体主義ホーリズム)すら還元主義の一種なのだとして批判する。


ともあれ、著者の主張を私は以下のように理解した。

たとえば、さっきまで食卓にあったリンゴの分子が現在は私の胃の中にある。この現象を基本物理学の法則に還元して説明することは非常に難しい。このとき問題なのは、「難しいこと」自体ではなく、そもそもその還元的な説明が「良い説明ではない」ことだ。ではこの現象の良い説明とはいかなるものか。「私が空腹になりリンゴがうまそうなので手にとり齧って食べた」といった高次の説明こそが良い説明である。

少なくとも私たちが見聞きしている日常レベルの現象については、還元主義による説明は不十分なだけでなく、そもそも不可能かもしれないという見解だろう。その反対に、創発的なレベル(高次のレベル)での説明こそが本質的な説明でありうると言っている。

しつこく言い換えるが、人間的な知覚や認識や知能のレベルでの現象の理解こそが、宇宙的にも物理的にも本質的かもしれないということだろう。しかも、そうした創発的なレベル=高レベルの説明自体が、《自然法則なのかもしれない》とまで考える。すなわち、人間の意志や知性は自然法則であり宇宙的な普遍性をもつ、といった大胆不敵な主張。

それを裏付けるかのように、著者はすぐこのように書く。《一つの候補は、計算の普遍性の原理だが、これについては次の章で議論したい》

人間の知性が見出した数学という世界は、それが宇宙の説明にきわめて便利というにとどまらず、数学の世界こそが自然法則そのものかもしれない、といった議論が次に待っているのだろうか。


ちなみに、ここを読んでいた時期に、『偽日記』が、ネットワークが巨大化するとランダムネットワークはありえず、すべてスケールフリーになる、ということについての驚きのエントリーを書いていた。

 http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20140225

ここにある、たとえば富の配分も知人の数も必ずスケールフリーになるといった事態こそは、創発的な高次レベルにおける自然法則の1つなのかもしれない。


ホフスタッターの心身問題についての説明も還元主義だとしてバッサリ。

《ホフスタッターは、哲学者のダニエル・デネットの説に従って、「私」は幻想であるという結論に至っている。この結論によれば、「物体を好きなように動かす」ことができないのは、「(その)振る舞いを決めるには物理法則のみで十分」だからだ。ここから、ホフスタッターによる還元主義が出てくるのだ。
 しかし第一に、物理法則も何かを動かすことはできない。説明し、予測するだけである。さらに言えば、物理法則はわれわれにとって唯一の説明ではない》

そして、その物理法則とは離れた高次レベルの良い説明が実際にあるじゃないか、と繰り返し主張する。

《微物理的な説明を、創発的な説明よりも基本的なものと見なすことは恣意的であり、誤りである。》


さらに、善悪の説明も物理学には還元できないと言う。《私があなたに、人生で追求すべき目的について助言を求めた場合、物理法則が要求することを行うように助言してもらっても仕方ない》

これは誰だってそう思う。しかしさらに以下を読み進むと、還元主義批判にとどまらず、普遍の自然法則のいくつかは、むしろ高レベルの説明のなかでこそ見出されるのかも、というまさかの思いが強く喚起されてくる。そこがきわめてエキサイティングだ。

《美や、善悪、素数性、無限集合などはすべて、客観的な形で存在する。しかし物理的に存在するわけではない。それはどういう意味だろうか? 確かにそれらは、あなたに影響を与えうるが、どうやらそれは物理的対象が影響を与えるのと同じ意味ではないようだ。》

《第一に、物理法則の影響を受けるとは、その物理的対象に関する何かが、物理法則を通じて、変化を引き起こしたという意味だ(あるいは、物理法則がその物理的対象を通じて変化を引き起こしたと言っても同じだ)。しかし因果関係と物理法則のどちらも、それ自体は物理的対象ではない。それらは抽象概念であり、そうした抽象概念についてのわれわれの知識は(ほかの抽象概念すべてと同じように)、われわれの最善の説明がそれらを引き合いに出しているという事実から生まれるのである。進歩は説明に依存する。》

このあたりで、この章のタイトル「抽象概念とは何か」をしみじみ味わうことになった。

さらに突っ込んで、「物理法則が異なっている場合にも道徳法則は変わらないのだろうか?」と問う。《道徳はそれ(*物理法則に従うという考え)よりも自律的だというのが私の推測である。》

道徳にも、物理法則と同じかそれを超えるような法則があるはず、と言うのだ!


この章は、次のようにもまとめられる。

説明は、最も低いレベルが最も基本的であるという、階層構造を作り出さない。《むしろ、あらゆる創発レベルの説明が基本的なものになりうる。抽象的な実体は実在するものであり、物理現象を引き起こす役割を果たすことができる。因果関係はそれ自体がそうした抽象概念である。》



第6章「普遍性への飛躍」


文明初期に発明された文字の体系には強力な普遍性があったと述べる。特にアルファベットに注目している。ざっと以下のような話。

象形文字と違い、書記体系(初期の)には、重要なあるものがあった。リーチがあった。そしてリーチにはいつも説明が存在する。《科学では、シンプルな公式一つでたくさんの事実を要約できるが、同じように、シンプルで、記憶しやすいルールは、多くの単語を書記体系に追加することが可能だ。》(リーチとは同書全体の最重要キーワードで、きわめて幅広いものごとを説明できることを指す)

ルールを通して得られた普遍性には、完全なリストがもつ普遍性とは異なる性質がある。違いの一つは、そうしたルールは、リストに比べてずっとシンプルにできることだ。

そうして、たとえばアルファベットという書記体系は、その言語のあらゆる単語だけでなく、あらゆる可能な単語を扱えるので、その体系には、まだつくり出されていない単語がすでに存在していることになる。


また、その普遍性は印刷術の発明によって飛躍したと言う。

《普遍性への飛躍の一つで、啓蒙運動初期に重要な役割を果たしたのは、「活版印刷術」の発明だった。》

可動式の一定数の活字のセットがあれば、それ以上なにも作らなくてよい。つまり《活字を組んで単語や文章にするだけでよい。活字を製造するために、その活字を使って最終的に印刷される文書の内容を理解している必要はない。活字とは、普遍的なのだ。》


次に、コンピューターの普遍性の話。節のタイトルは「普遍性の飛躍はデジタルで起こる」


そして、文字・印刷術・コンピュータと同じ観点から、遺伝子がもつ普遍的な威力が、やはり浮上してくる。題して「遺伝暗号のリーチの謎」。

まず、その全体の見取り図。

《複製プロセスは単純な触媒反応ではなくなり、プログラミングに近くなっていった。それは、塩基をアルファベットとして使う言語、つまり遺伝暗号を使ったプログラミングである。
 遺伝子は遺伝暗号の説明書と解釈可能な自己複製子だ。一方、ゲノムは遺伝子のグループで、互いに依存して複製を行う。ゲノムを複製するプロセスが、生物にあたると考えられる。したがって遺伝暗号は生物を指定する言語でもある。》

このあとが、いっそう興味深い。

《当初は、遺伝暗号と、それを解釈するメカニズムの両方が、生物にあるほかのあらゆるものと平行して進化していた。しかしある瞬間から、遺伝暗号は進化をやめるが、システムは進化し続けるようになる。その時点で、このシステムは原始的な単細胞生物よりも複雑なものはコードしていない。》

この点にこそ「遺伝子の仕組みが、科学の仕組みに似て万能のリーチを持つ」という共通点があるということだろう。その詳しい見解が以下。

《つまり、生物を指定する言語と考えられる遺伝暗号は、現象的なリーチを示してきたことになる。遺伝暗号は進化した結果、神経系もなく、動いたり、力を加えたりする能力もなく、内臓や感覚器官もなく、生活様式と言っても自らの構成要素を合成して、二つに分裂するだけの生物を規定しただけだった。しかし、現在ではその同じ言語が、そうした生物とは似たところのない無数の多細胞生物による、走る、飛ぶ、呼吸する、交尾する、捕食者や獲物を識別するといった振る舞いのためのハードウェアやソフトウェアを規定している。また、羽根や歯といった工学的構造や、免疫系などのナノテクノロジー、さらにはクエーサーを説明したり、ほかの生物をゼロから設計したり、自らが存在する理由について思いをめぐらすような脳でさえも、その言語によって規定されている。》

難しいといえば難しいが、なんだか核心がわかった気がするのだった。


合わせて、こんなことも言う。

遺伝暗号自体は《…非常に大きなリーチを獲得した時点で、進化は止まった。なぜだろうか? それは、何らかの普遍性への飛躍のように思えないだろうか?》 ただし、《そのシステムは、普遍性に到達して、進化をやめた後の数十億年ものあいだ、相変わらず細菌をつくるためだけに使われていたのである。》

これはカンブリア紀の爆発の前の話だろう。


しかし、この遺伝暗号のリーチは、まだ謎であると著者は考えている。遺伝子による進化がこれほど普遍的であることの根本原理はまだ不明という意味だろう。

《リーチにはいつでも説明がある。しかしこの場合は、私が知る限り、説明はまだ見つかっていない。リーチにおける飛躍の理由が、それが普遍性への飛躍であるということだったら、普遍性とはいったい何だったのかということになる。遺伝暗号は生命体を規定することについては普遍的ではないのかもしれない。遺伝暗号は、タンパク質といった特定種類の化学物質に依存しているからだ。》


ただし、遺伝暗号の原理に、最高峰の普遍性や汎用性があるとまでは、著者は考えていない。

《遺伝暗号はユニバーサル・コンストラクターなのだろうか? そうかもしれない。》 たとえば《原子力宇宙船の建設がライフサイクルに含まれる生物を、遺伝暗号という形で規定することができるかもしれない。あるいは不可能かもしれない。》

《私は、遺伝暗号の普遍性はやや劣ったもので、まだ十分に理解されていないのではないかと考えている。》 これがとりあえずの結論。


じゃあ著者はいったい何が言いたいのかというと――

この宇宙には普遍性をもつ存在はいくつかあり、DNAはその最初の一歩だった。しかし、本当にスゴいのは人間の科学的な知性だ。

《…そうしたさまざまな形の普遍性のなかで、物理的に最も需要なのは人々が持つ特徴的な普遍性だ。つまり、人々はユニバーサル・エクスプレイナー(普遍的な説明者)であり、それが人々をユニバーサル・コンストラクターにもしているのである。》

実際、コンピュータ自体がいくら普遍であっても、人間がいなければ動かない。他のあらゆるテクノロジーも同じだ。



◎『無限の始まり』について、すでに以下も記した。
 ・http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20140223/p1
 ・http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20140215/p1
 ・http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20140201/p1