一昨夜は、是枝裕和『DISTANCE』をアマゾンで視聴した。オウム真理教に対しては、こうした近づき方・向き合い方も可能なのだと気づかされ、新鮮だった。そもそもこの映画、これまで見逃していた。
家族がカルトに入信していく。それは最も身近な者がいきなり他者(得体のしれない他人)になる体験なのだろう。入信したほうは入信したほうで、ここにこそ本当の生活がある、本当の教育があると空前の覚醒を実感したのに、そんな一大事をやはり最も身近な者に理解してもらえず、切なく、あがく。
オウムを思うとき、なんであんな無差別殺人を? あるいは、一体どんな教理教義なのさ? といった興味ばかりでなくてよい。世間との軋轢、住民との軋轢、そういったものばかり語らなくてよい。夫婦や兄弟の通路が完全に消えてしまえること。そのとき被る傷の底しれなさ。少し触れられたと思う。