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【2019 輪廻転生】

神なき世界に物語あり

松尾豊さんの本をまた読んでいる。『超AI入門』(NHK番組の関連本)。人間の「心」という広い働きから「知能」のみ抽出しモデル化し代替させるのがAIだという見方。それに対し「心」のうちの「感情や本能」は進化のプロセスなしには出て来にくいという見方。これらが改めて明瞭になる。

その上で興味深い逆説を述べる。

《「知能という存在に迫りたい」という研究者たちの目的は、煎じ詰めると、「人間の最も強力な武器であった知能の仕組みを知りたい」と同時に、「知能を除いた人間の人間性を知りたい」ということだと思います》(p.72)

研究者でなくても、まったくその通りと思う。ひとえに「人間とは何か」が知りたい。あまりに獏とした問いだが、知能を区分けすることで、考える手立てが得られる。しかも、区分けの残りである感情や本能という、実はこっちがむしろ人間の本質かもしれないものまで、見えてくる。

 

  超AI入門―ディープラーニングはどこまで進化するのか

 

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進化という観点がベースとして不可欠であるのは、考えてみれば『哲学入門』(戸田山和久)と同じなのが面白い。同書は、表象や意味といったものが人間以外の生物にも共通するいわば自然物だと捉えられることを示したうえで、しかし、こと人間の表象や意味がどれほど特異であるかもまた示していく。

 

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ついでのように、大きなことを言っておく。

西洋においては、人間とは何かが強烈に知りたかった一方で、それを知る枠組みも材料もほとんどなかった、そんなところに、便宜的だが総合的な回答として「神様」という精緻な理論が編み出されたのだろう。すごいね(こんなことを書く私がすごいね)

さて現代の私たちは、人間とは何か・宇宙とは何かを「神」という枠組みで考えてもラチがあかないことは、内心わかっている。ただ、はっきりそれを前面に出すと、人間も宇宙もひたすら無意味で虚しく、どうしていいかわからなくなる。では、現代の私たちは、どうしたらいいのか?

今日初めて思った。そもそも、人間とは何かとか宇宙とは何かを問うならば、どうしても「神様」を連れてきてしまうのかもしれない。そうすると、現代人であっても中世の西洋人と同じく絶対神を精緻に信じるところにしか解答はないことになる。あるいはもう1つの解決法。そんなことは問わない!

もう1つ別の方向で話を大きくすると―― 

一神教への切望は、意外に、すべてのものごとの根本原理を切望する理論物理学に、かなり近いと思う。神の力や天使や悪魔を信じるのは、あらゆる力を4つや1つに集約したり、光やブラックホールを理論で固めるのと、そっくりではないか?

さて、最初の本に戻るけれども、『超AI入門』(松尾豊)も『哲学入門』(戸田山和久)も、神様を信じる以外の方向で、「人間とは何か」を具体的に見極めようとしている。

 

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そしてもう1つ、現代に生きることが虚しくなくなる方向を、一神教的ではなく模索していると、私には強く感じられたものがあった。今さら視聴したNHKのドラマ『富士ファミリー』(木皿泉 作)。2016年版、2017年版とも、生きる支えにすらなる。これは幽霊は出てくるのだが、むしろ一神教ではない。

「なにもできなくなって人に迷惑かけるのに、意味なんてあるのかい?」片桐はいりのお婆さんが問うと、「意味があろうがなかろうが、すでに私たちはここにいる。そのことのほうが重要なんじゃないかしら」とアンドロイドのマツコが答える。「ここにいていいのかな?」「ていうか もういるし」

映画『万引き家族』もドラマ『anone』も擬似的な家族の物語だったが、富士ファミリーもそうした広がりを感じさせる。東浩紀が希望を見出す「家族」のような。万引き家族とanoneの方法は、現代においては法にひっかかり永続が難しかった。富士ファミリーの疑似家族は、緩く淡いが、ポジティブ。

http://www.nhk.or.jp/dsp/fujifamily/

 

暫定結論。神様がいないこの世界には物語があるじゃないか!

 

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富士ファミリーについてはこちらにも

https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2019/05/18/000000