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【2019 輪廻転生】

★有限性の後で/カンタン・メイヤスー

 有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論


http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20181115/p1 から続く


哲学の本はしかしあまりにも難しい。再び読んで前回より先に進んだのはわかるがゴールにはずいぶん遠い。仕方ない、また帰るか。中国雲南省麗江に行きさらに虎跳峡まで辿り着いたがもはやヘトヘトで瀘沽湖はさすがに諦めた、みたいな?(他人には理解できない比喩)

ではなぜ徒労すれすれの哲学本など自らすすんで読むのか。おそらく、「なんかとんでもない考えがあるらしいよ」と聞くと、どうしても自分でその考えを、たとえ切れ端でもいいから、かみしめたいと望むからだろう。

それは、「なんかとんでもない所があるらしいよ」と聞くと、どうしても自分でその場所に、立ってみたいと望むのと、似ている。

とは言ったものの、さて、それほどすごい考えとか、それほどすごい所とか、私はどれほど知っているのか・行っているのか? いやたくさんはない。いやほとんどない。しかし、少なくとも1つずつか2つずつくらいは挙げられる。長年を費やしてその程度なのは、さびしいけれど、上出来とも言える。

いやまったく、哲学も旅行も核心のスポットは遠いと思う。飛行機も鉄道もバスも1つもミスせず我慢して乗り継がないと、たどりつけない。

『偶然性の後で』は、「事実性」という初めての見知らぬ都市まで、無理をしてやって来たものの、次に乗るバスがどこから出ているのか、探しあぐねている。

メイヤスー『偶然性の後で』と書いていたが、正しくは『有限性の後で』だった。最初のフライトで違う国に飛んだみたいな間違い。