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【2019 輪廻転生】

★有限性の後で/カンタン・メイヤスー

 有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論


簡単メイヤスー ……そんなわけはないが、意外に読めるので驚く。千葉雅也(訳者代表)による巻末の道案内がとてもありがたい。

猛暑ついでに書いておく―― 

そもそも、普通の人はリンゴでもネコでも月でもそのまま実在しているとおもって暮らしているが、哲学者はカントの「物自体は認識できない」を踏まえて考える(らしい)ので、「あらゆるものごとは意識や言語とかかわる中で現れているにすぎない」と主張せざるをえない。

「リンゴやネコがそのまま実在しているわけではない」と言われても首をかしげるだろうが、たとえば「雷はあのとおり実在しているのか」と疑ってみるといい。あんな光やあんな音はヒトの視覚や聴覚を介した現象にすぎない。あんな恐ろしさや太鼓を伴ったあんな姿が特殊な捉え方にすぎないのと同じ。

これをつきつめると「人間が関係しないものごとについては人間は思考することすらできない」というところまで行きついてしまう。しかしメイヤスーさんは「そんなことはない」とこの本で主張したいようだ。そこで、次の問いを投げかける。

「46億年前に地球が誕生した」あるいは「40億年ほど前に生命が誕生した」と私たちは言う。しかしそれらは人間の意識も言語もかかわっていない出来事だ。だから哲学者は「これらの言明は本当は無意味だ」と内心思っている。ではなぜ科学者は「これらは本当に起こったのだ」と胸を張れるのか?

――だいたいそういうことが第1章に書いてあった。(炎天下で全力疾走させられるような読書だったので、夢かもしれないが) 

しかしまあ、こんな哲学書を読むことが楽しくてたまらないという人は、この夏クーラーなしで過ごすことが楽しくてたまらないという人と同じくらい、「ちょっとおかしい」と思われるだろう。かなりの酔狂だ。

私は科学者でも哲学者でもないが、「46億年前に地球が誕生した」といった科学的主張は腰を抜かすほど驚くべきことだと思うし、同じく「46億年前に地球が誕生した、という言明はありえないはずだ」という哲学的主張も気を失うほど驚くべきことだと思う。

しかしどちらかと言えば私は、46億年前に地球が誕生し40億年ほど前に生命が誕生しやがて人間も意識も言語も出現したというプロセスの科学的説明それ自体のほうが、やっぱり大変わくわくする。

しかしながら、その先には「人間も地球も宇宙すらも、そもそも出現しなくてもよかったように思えるのに、それなのに、このように今たまたまあるのは、どういう具合になってるんだ?」といった、さらに根本の疑問がある。それにつきあってくれるのは科学者ではなく哲学者なんじゃないか(いや、そうでもないか…うーむ)


http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20180826/p1 へ続く