東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ウィトゲンシュタイン解読本を年初の旅行中に熟読した件

表題だけ書き込んでタスクを完了させたことにするツイッターライフハック。(しかし以下に少し中身を書く)

 *

言語生活とは制度だ。「佐川です」と名乗れば佐川であり、大臣から「国税庁長官」と任命されたから国税庁長官であり、「反省します」「謝罪します」と言わないなら反省も謝罪もしていない。私も「無神論者です」とツイートしたからもう無神論者であり、実際そんなつもりにもなる。

それで、私が思う意味での無神論者という立場からは絶対に離れずに「神とは何だろうね」と問うたのもまたウィトゲンシュタインだったようだ、ということを改めて確信したことが、今回はとても有意義だった。

差別ということについても、だれかが何かをしたときに差別が発生するのか、それとも「差別」という用語を自分か相手か他の誰かかが示したときに発生するのか、という問いがあると思う。「言語はひとつの制度」(ウィトゲンシュタインの後期の考えとされる)ならば、後者の見方になろう。

……違うかな?(2018/07/08追記:いや、ウィトゲンシュタインは「違う」と言うだろう。差別という生活上のなにごとかがあり、差別をめぐる言語ゲーム(制度)がそれに伴う、という見方だろう。なお、差別をめぐる言語ゲームとは「差別」という単語自体が使われるかどうかとイコールではないと思う)


「今すぐ佐川長官を更迭すべきであります」。枝野んの弁でここだけは禿同なのであった。ほかはう〜むどうもよくわからん。

ちなみに「禿同」とツイートしたら、それは「禿同」という意味である。


じゃあ「まじ卍」って?

そんなときは命令しよう。「おいこら、Google」「おいこら、広辞苑

(だが、その言葉づかいでは、現行の言語制度にないため、反応されない・通用しない)

=続く=