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【2019 輪廻転生】

政治の文章は科学風でよい

科学が文学と違うのは、「実在する対象」の描写を100%目的にしていることなのだと、ふと思った。だから、科学の文章は指し示す事象が明瞭・単一であり、それがクリアに伝わることがすべてで、どうせなら文章は簡潔がよい。じゃあ文学の文章はいったい何をどうしたいのだろう…

文学は、というか芸術一般の表現は、実在する対象の描写をしなくてもいいのか? むしろ実在する対象の描写をしないほうがいいのか? …よくわからない。いくどもそう思うことがあるように、小説なら文章の内容ではなく文章そのものの価値が優位であり、少なくともゼロではないということか?

あるいは、要するにコノテーションか。「辞書に登録されている語の最大公約数的な意味をデノテーション denotation「外示」というのに対し,語が喚起する個人的・情感的・状況的な意味をさす」=ブリタニカ国際大百科事典より=

https://kotobank.jp/word/%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-164123

ならば翻って考えるに、政治の文章は科学に近いのか文学に近いのか。これが、けさ(といっても日はもうだいぶ高い)の疑問。そして、政治の言論が文学風のコノテーションを含みすぎ、そのせいで余計な喧嘩が絶えないのだと思えてきた。そこが私は歯がゆい。政治の文章は科学風でいい。

マスコミの文章も同じく科学風がいいんじゃないか。…いやしかし、人間は感情がまったく動かなかったら文章を読む気にもまったくならないとも思える。人工知能なら情報伝達をホルモンが担うわけではないから感情が動かないまま文章を理解するのだろう。それって楽しい? 「楽シイッテ何デスカ?」


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水曜日と木曜日の間にある歪んだ時空に吸い込まれて仕事ができない。