人間もまたフレーム問題に陥るのであり、「心を病む」とか「頭が足りない」とか言われるのは、結局そういうことなのではないか。
自分自身の体験としてそう思う。なんであんなにくよくよしたのか後から思うと不思議だとか、散歩していたら面白いアイディアが浮かんだとか、それはフレーム問題からふっと抜け出たときなのではないか。
たとえば山にでも登って雄大な景色を眺めると、世界はツイートの四角い枠の中だけで起こっているわけではないんだ、という当然のことが初めて実感できるとか。
眺める視点を変えよう、といった単純な話になってしまいそうだが、フレーム問題とは、結局そういうことなのではないかと思った次第。ちなみに、フレーム問題とは:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%95%8F%E9%A1%8C…
そうするとしかし、人間があらゆるフレーム問題から自由になったとしたら、それは、この世のあらゆる眺めをすべて一挙に見通せるような存在なので、もはや人間ではなく、神と呼ぶべきだろう。
フレーム問題を脱するとは、「どうでもいいじゃないか、そんなこと」と気づくことなので、日々のあれこれや人生のあれこれのことごとくが、「アハハ、どうでもいいね!」と本気で思うようになったら、それはやっぱり、すこぶる素晴らしいような、すこぶる素晴らしくないような、感じだろう。
◎フレーム問題に関する過去エントリー http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20080615/p1