細谷雄一『安保論争』(ちくま新書)を今さらながら読んでいる。
https://www.chikumashobo.co.jp/special/security_controversy/
2015年の安保関連法は国論を二分し国会前は連日デモで賑わった。あの季節。同書はその少し後に書かれている。
第1章第1節のタイトルはいみじくもこうだ――「平和への無関心」
著者は、戦後70年余 日本の外では朝鮮半島、中東、インドシナ、ユーゴスラビアなどの戦争が幾度も繰り返されたことを踏まえ、こう書く。
《私たち日本人は、これらの戦争が行われている間、冷酷なほどの無関心を示してきて、それらの戦争が集結するための外交交渉に冷酷なほど距離を置いてきた》
《われわれ日本人は、本当に平和を求めているのだろうか。本当に戦争を嫌悪しているのだろうか。あるいは、単に日本人が戦争に巻き込まれたくないだけであり、ただ単に日本人が戦争の被害を受けたくないだけであって、ただ単に日本人が戦争の現場から遠ざかっていたいだけなのだろうか》pp.49-50
禿同すぎて、振ったあたまからカツラが落ちそうなほどだ。
「われらは、平和を維持し、専制と隷属、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う(…)」
あまりの皮肉と無力感。私たちの国の住人はみな胸が痛まないわけにはいかないだろう。
私はかなり長い間、あのとき国会前でデモをしていた人たちとほぼ同じ主張をしてきた。しかしそのときはもう同じ主張ができなかった。そして今はほぼ違う主張をしている。私は2015年ごろに変わったのだ。いわば「ゆっくり右へ」変節したのだろう。
https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/20150919/p1