★バベル/アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督 asin:B000UDNQZS
モロッコの荒野で羊を飼うある家族から始まった画面は、さっと切り替わる。アメリカの裕福そうな家に住む子どもたちへ。あるいは渋谷などをうろつく日本の女子高校生へ。やがて、羊飼いの一家は、モロッコ観光というものを介し、そのアメリカの一家そして日本の一家と、それぞれ細くしかし強い繋がりを図らずも持たされていたことが明らかになる。さらに、アメリカの子どもたちは移住労働者のべビーシッターに連れられ混沌のメキシコへ。
現代に作られる映画や小説が本当に現代的と呼ばれるに値するのは、こうした多国籍性や越境性を自覚させてこそではないか。「こんなことはありえるよね」と。いや大げさな話ではない。私たちの日々の生活や意識は、メディア報道、物品消費、海外旅行などによって世界各国と否応なくつながっている、それだけのこと。それはたぶんここ10〜20年でにわかに著しくなったのだ。
そしてもう一つ、同時代感覚のカナメとなるのは、モロッコとアメリカと日本とメキシコではものごとがあまりにも異質だという裏腹な事実だろう。たとえドルやユーロやCO2がいくらグローバル化しようともだ。いやたとえ同じ東京にあってさえ、天与の権利であるかのごとくそそり立ち、大多数の他人には負荷とおそらく無関心しか与えないあの豪奢マンションも、また異様。WTCが崩れた911の神話と並び、これぞ現代東京のバベルなのかも。
★世界/ジャ・ジャンクー監督(中国) asin:B000FHQ78M
いやしかし、現代をすべて観測したと言うためには、中国を流浪する貧民を忘れてはならない。それどころか、中国を知らなければ世界の半分は知らないままなのだという気もする。かつて中国を旅してそう思ったし、今はジャ・ジャンクーの映画をみるたびそう思う。ただ近ごろは、テレビのネタなどもなにかというと中国がらみだし、いちいち映画を参照する必要もないんじゃ? ……というとそうでもない。テレビ番組で金満の中国人とか棒で人を叩く中国人とかだけを見ていると彼らが心底 嫌いになるわけだが、映画として向き合えばそうした感情や結論には至らず、どちらかといえば心底 幸運を祈ってしまう。(旅行だと半々か)
★父、帰る/アンドレイ・ズビャギンツェフ監督(ロシア) asin:B0007MCIFQ
いやそんなことを言ったら、世界にはロシアもあるのだった。
兄弟の少年2人が母親と住んでいる。そこに12年も不在だった父親が突然帰ってくる。父親は何も語らない。息子2人を車に乗せどこかへと向かう。行き着いたのは見知らぬ湖岸。さらにいっそう見知らぬ島へと小さなボートで3人は渡っていく。息子2人のうち長男は父親に徐々に従うようになるが、次男は逆に反抗心をつのらせ、(比喩的なネタバレ→→→→)それは決定的な悲劇へと転落してしまう。
父親が無言なのはいいが、作り手もまた無言なので背景がわからない。これでフラストレーションがたまらない人がいたら奇特だろう。父親に関する事情を息子2人や母親も観客と同じくまったく知らない、というわけでもないだろうに。また、島の廃墟から父親が掘り出した箱の中身もわからずじまい。監督は「箱には何が入っていたのか」とよく聞かれるようだが、「もっとましな質問はないのか」などとぼやいている(付録の監督インタビュー)。それなら改めて問いたい。「この映画で箱の中身を明かさなかった理由は何ですか」
しかし、こうした物語上のフラストレーションを除いてしまえば、転じていくシーンのひとつひとつは見る者を引き込んで最初から最後まで離さない。少年と父親の行動や心理の荒々しさ、生々しさはみごとに浮き立つよう。一方、背後に広がっていく風景はどれも美しく静か。余計なものがほとんどない大地や湖や島は、こんな場所がこの世にあるのかと見入ってしまう。民家や街角のさびれた様子も私にはまるきり異郷であり、わけもなく心を騒がせ、そして落ち着かせる。
ヴェネチア映画祭2003年のグランプリ。
★隠された記憶/ミヒャエル・ハネケ監督(フランス) asin:B000GYI0GG
これまた、謎が解けずいらいらしたい人には必見の一作。
★キューポラのある街/浦山桐郎監督 asin:B00006YXS0
1962年公開。この時期の映画の多くは、なんというか斜に構えるところがない。真っ直ぐでメリハリが効いている。なにしろ吉永小百合がそうだ。演技、台詞、役柄。他の子どもたちも大人たちもみなそう。工場、駅前、学校、路地、食堂、家の中、それらの場所にも思わせぶりな意味はない。人々が望むものもわかりやすい。今の私からすれば、すべてただ一つ「戦後日本」あるいは「戦後民主主義」を明るくまっすぐ表象していると感じられる。
やっぱり戦後なんてはるかに遠くなったということだ。半世紀もたてば変わり果てるということだ。現在の日本社会を見渡して、同じ時代区分が当てはまるわけがない。
ずいぶん前に一度見たはずだが、すっかり忘れており、新たに堪能した。
古い日本の映画を見るのが気楽なのは、その時代をすでに俯瞰できているからだろうか。製作当時は時代と同時進行で手探りしていたものが、今となれば要するに何だったのか把握できる。イメージや評価もだいたい定まっている。上に書いたとおり。その点だけみれば、心地よく安心できる映画鑑賞だ。反対に、現在の映画が現在を手探りしているかぎり、誰にとっても今まさに切実でしかし未知で多様な現在が、過不足なく射抜かれていると感じることは難しいのかもしれない。そのことが面倒だったり不安だったりすると、つい、古い映画ばっかり見ていたくなる。
ゴジラ第1作(1954年)。実は見たことがなかった。
ゴジラが東京をのし歩くルートは米軍B-29のそれと一緒だったとか? 敗戦から9年。たしかに当時の人々は、あの空襲の恐怖とスペクタクルを再びスクリーンに見たのだろう。荷物をまとめて集団で逃げていくシーンは疎開を思わせ、議事堂の地下への避難は防空壕を思わせた。
生物学者の若い娘を演じた河内桃子。なんか見覚えがある。たしかなにかでお母さん役をしていたはず。何だっけ。…やっと思い出した。ハウスインドカレーのコマーシャルだ。間違いない。しかしまあゴジラは大昔だが、ハウスインドカレーももうずいぶん昔だ。戦後も長いが、私も長い。
菅井きんが社会党の国会議員役をしている。古い映画に菅井きんはとにかくよく出る。『キューポラのある街』にもやっぱり出ていた。戦後が本当に終わるのは菅井さんが亡くなった時かも(ご存命中です)
★TOKYO ! asin:B001Q5V0YI
3人の外国人監督が東京を舞台に撮ったオムニバス。ポン・ジュノにこんな繊細で寡黙な作品はあったっけ?
★運命じゃない人/内田けんじ監督 asin:B000BWDCV6
続けざまに展開するストーリーが視点人物を変えて語り直される。なるほどそうだったのか。じつに巧みな組み立て。絶対もう一度再生して確認したくなる。
★アヒルと鴨のコインロッカー/中村義洋監督 asin:B000ZGSQQO
ブータン人を演じた男が、最後にはいかにもブータン人らしく見えるところに、最も感動した。
独特のトリックは面白いとおもった。原作で読んでもきっとやられたと思っただろう。ということで、これも2度みたくなる。
伊坂幸太郎は『重力ピエロ』を読んだことがある(映画は見ていない)。主人公の母親を強姦して妊娠させた者がいて、その人物だけは純粋な悪いやつとして扱われていた。たぶん普通は気にならないのだろうけど、なんだかそこがちょいと薄いと思ってしまった。さてこの映画にも100%悪いやつが出てくる。今回はそれなりに詳しく描かれているが、やっぱり彼だけは同情の生じる余地がない。これまたストーリー上 仕方のないことなのだろうが、まただな〜とは思った。
◎2009年 映画DVD鑑賞 (2) → http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20090620#p1
◎2009年 映画DVD鑑賞 (4) → http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20090916/p1