東京永久観光

【2019 輪廻転生】

人類の進歩と難儀


「文学理論」を知っている人というのは、「ロシアフォルマリズム」「ニュークリティシズム」に「精神分析」「マルクス主義」ときて「構造主義」「ポスト構造主義」さらには「フェミニズム」「ポストコロニアリズム」…といったぐあいに、数々の難しげな流派の名がスラスラ出てくるような人を指すのだろう。こういうのが心から好きという人もいるが、こういうことの全てが「超マジうざいんだけど」という人もいる。もちろん棲み分ければいい。ただ問題は、すでに十分知っている人と、あまり知らないのでぜひ知りたいという人が、どうも幸福な出会いをしていないのではないか、という気がすることだ。

そんななか、岩波「1冊でわかる」シリーズとして出たジョナサン・カラーの『文学理論』は、明晰で簡潔なガイドをしてくれて、ありがたい。「あまり知らないのでぜひ知りたい」一人として強くお勧め。ASIN:400026866X

このところ「小説って何?」という素朴な声を私はちょいちょい上げている。「小説が何ものであり、それを書いたり読んだりすることで何が起こっているのかについては、新聞やビジネス文書や年賀状に比べたら、まったく分かっていないし考えれば考えるほど分からない」など。こんなのはいわば幼稚園児なみの問いかもしれない。しかしこの『文学理論』は、そうした愚直なところから掘り起こし、最終的にはおそらく大学院生なみの議論にまで連れていってくれる。

なお、文学理論の対象は文学作品にとどまらない。文化的なものごと全般を大胆に斬新に斬っていこうなどと目論んだ場合、今や馬鹿みたいに広く活用されているようだ。さらに肝心なのは、ものを考えたり学んだりすることの基盤が1960年代あたりから様相を一変させたと言うその全貌に、これらが密接に関わっていること。というか、一変した様相の実体がつまりこれらの理論なのだ、と言ってもいい。こうした他人事ではないはずの事情も、知っている人は知っているが、知らない人は知らないのだから、それも噛んで含めて解説することになるこの本は、とても重宝する。

そして具体的な理論、雑ぱくに言えば「我々は文学をどう読んでいるのか、読んでしまうのか、それらをすっきり自覚させる理屈のいろいろ」をコンパクトに総覧していく。短い本に合わせてか冗長さを徹底して排した語り口なので、ときどき頭が過熱して焦げるような感じにもなるが、ちゃんと着いていくなら、結局どれも自分が小説を読んでいてふとぶつかるような原則的な疑問なのだと気づく。だから文学理論とは、読書の楽しみをいくらでも広げてくれるツールなのかもしれない。

いや、だが実は、それが楽しみかどうかは、はなはだ疑わしい。なにしろ著者自身、文学理論についてこんなふうにぼやく。《結果として、理論は恐ろしげなものになる。今日の理論の特徴の中で人をいちばん愕然とさせるのは、理論にはきりがないということである。それはおよそマスターできるような代物ではないし、「理論を知る」ために学べる特定のテクスト群があるわけでもない。》《理論に対する敵意のかなりの部分は理論が重要であることを認めてしまうと際限なくかかわるしかなくなり、いつまでたっても自分の知らない大事なことが残っている状態に身を置かねばならなくなることから来ている。》 ただ、それに続けてこうも言う。《けれども、これは人生そのもののありようにすぎない。》

むかしは世界文学全集などを書棚から出して黙って読んでいればそれでよかったのに。と悔やんでも人類はもう遅い。