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【2019 輪廻転生】

文芸雑誌には文芸作品が載っていて、つまりそれは小説と評論で、それ以外はあまりない


水村美苗の『本格小説』はじつに面白い小説だった。でもそれは、ケータイ小説が加工スナックのごとくすいすい進むのとはやはり違っており、「うむ私は今 文学の栄養を正しく摂取しているにちがいない」といった折り目正しき気分がもてる。それでも心は千々に乱れてのめりこむのであり、おまけに推理小説さながらの意外な犯人というか(いや違うけど)、そんなどんでん返しまでついてくる、分厚い2冊だった。しかも、フィクションを本当らしく語るということの核心を突いた戦略が施されていたとも記憶する。

そんな希有な作家 水村美苗が、新潮9月号に「日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で」という不思議な文章を書いている。

不思議というのは、「長篇評論280枚」と表紙にも断り書きがあるのに、実際の文はこんなふうに始まるからだ。

九月のアイオワ・シティの朝はかなり冷え込む。
 ホテルの外に出れば、湯気の立つスターバックスのコーヒーを片手に、背中をちぢめてマイクロバスの到達を待つ作家たちの姿がちらほらとあった。作家という職業につきものの猫背がいよいよ猫背になっている。足下にはてんでな形をした旅行鞄が置いてあった。

こんな調子で、書き手はそのアメリカ中西部でバスに乗り込み、実体験したと思われる出来事をしばらく描写していく。外国人との会話も挟み込まれる。「『ボンサイ』」を知っていますか」、「盆栽が何であるかは知っていますが、盆栽のことは何も知りません」といったぐあい。そうして何を述べるのかというと――。自分と同じバスに、モンゴルから来た日本人みたいな顔だちの中高年詩人と、リトアニアから来た片耳ピアスの青年詩人が乗り合わせた。二人はバスの真ん中の通路を隔てて隣どうしで座っているから、ヘンだなと首をひねっていたが、なんと、おっさん詩人と兄ちゃん詩人は、共通語たるロシア語で会話していたのではありませんか! ということだった。

だったら最初から簡潔に、「東西冷戦の20世紀、ソビエト連邦の一部だったリトアニアと、共産圏を形成したモンゴル国では、ともにロシア語が公式に教育されていた」とでも書いたらよい。紙片を何枚も費やして読ませることだろうか。なぜならこれは「私小説」でも「随想」でもなく「評論」なのだから。

・・・と私が思ったとしたら、それは浅はかというものだ。

このあとも書き手は、自身の米国生活体験や健康問題やフランスでの講演旅行などについてかまわず書いていく。しかしそのつど多様にしてスムーズな語りで迫ってくるから、こちらは本を閉じるタイミングをずっと逸してしまう。『本格小説』がやめられなかったのとちょっと似ている。「でもこれって評論かねえ」。そんなかすかなこだわりは、もう忘れることにする。

それになにしろ、この長い文章は紛れもなく評論の役割を果たしている。まだ三分の一ほど読み残しているが、書き手の主張の中心とおぼしきものに、いつしか私はどっぷり浸かっている。言いたいことが理屈をとおして以上に体験をとおして伝わっているというところだろうか。

その伝わってきた中身について、私はまだ何も記していないので、そこは一読をお勧めするが、ちょっと関連して言うなら――。「近代」のうまみというものは、世界のすべての人が味わえたわけではない。ところがその「近代」という奇跡は、21世紀グローバル化時代にあって、まさに砂の器のごとくさらさらと消えゆこうとしている。宿命だ。そんなことを近ごろ私は実感する。その「近代」の身近な実体といえば何だろう。私であればまあ先の戦争や天皇への感情とか現在も続くオリンピックへの感情などがあるのだろう。ただそれにまして「国民文学」というこれまた近代ならでは果実を、私たちは辛うじて手に取ることができた。それはやっぱり奇跡と呼ぶべきなのだね。「日本語が亡びるとき」を経由して本当にそう確信する。

このいわば異様な論文の、飛躍感や浸透感はしかし、『日本近代文学の起源』(柄谷行人)を読んだときに匹敵する。もちろんあんな取っつきにくい用語や理屈でぶつかってはこない。すなわち随想のような柔らかさで包んでくるのだ。

日本語が亡びるとき」のちょうど真ん中あたりに、以下の一節が出てくる。長い引用になるが、この部分は、今言ったこの独特評論の語り戦略に通じてくるようで興味深いのだ。

認識というものはしばしば途方もなく遅れて訪れる。きっかけとなったような出来事や、会話、あるいは光景などから、何日、何年――場合によっては何十年もたってから、ようやく人の心を訪れる。人には、知らないうちに植えつけられた思いこみというものがあり、それが、〈真理〉を見るのを阻むからである。人は思いこみによって考えるのを停止する。たとえ〈真理〉を垣間見る機会を与えられても、思いこみによって見えない。しかもなかなかその思いこみを捨てられない。〈真理〉というものは、時が熟し、その思いこみをようやく捨てることができたとき、はじめてその姿――〈真理〉のみがもちうる、単純で、無理も矛盾もない、美しくもあれば冷酷でもある、その姿を現すのである。そして、そのとき人は、自分がほんとうは常にその〈真理〉を知っていたことさえも知るのである。》(p175)

流れてきた旋律におもわず足がとまり涙すらこぼしてしまう、そんな綴り方・・・。


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新潮2008年9月号 http://www.shinchosha.co.jp/shincho/backnumber/20080807/
本格小説水村美苗) asin:410407702X
 過去の読書メモ(1) http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20040529#p1
 過去の読書メモ(2) http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20040530#p1

日本近代文学の起源柄谷行人asin:4061960180
 最近、定本も出たそうだ。asin:4006002025
◎ついでに、『日本近代文学の起源』をベースに
 インターネットの内面とかを考察した渾身(混信)評論
 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/00010102#p1


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ところで、同じ新潮9月号の表紙には、<青木淳悟(140枚)「このあいだ東京でね」>とも記してある。

文芸誌で「評論」とも「随想」とも断ってなければ、小説なのだろう。ところがこれがまた、小説というには異様な体をしているから、可笑しくてならない。東京の都市構造や不動産をめぐる事情がひたすら書きつづられていく印象なのだ。主人公、それどころか登場人物がいないと言ってもいい。タクシー運転手と乗客の会話などがたまに出てくるが、それ自体を読ませるというより、なにか説明したいことがあってその道具として使われているようにみえる。そういう点でも、水村美苗日本語が亡びるとき」のほうが評論なのにむしろ小説っぽいのだ。

「このあいだ東京でね」もまだ読んでいる途中なので何も言えないが、青木淳悟の書くものはやっぱり意表をつく。いや、意表をつくもなにも、意そのものがまるきり浮かんでこない。何なんだろう、この文章は。

文芸誌がいちいち「小説」と断らないのだとしたら、それはこっそり小説の定義を回避しているのかもしれないが、そもそも無定義の文章の呼び名にこそ「小説」はふさわしいとも言えるのだろう。絵画と彫刻のほかに版画や写真それにインスタレーションとかパフォーマンスまで含めて「美術」と一括りにするようなものか。

ちなみに、「このあいだ東京でね」は、《ある程度人生に見通しを立てた複数の人間が東京都内に新たな住居を探し求めていた。都心部だとか、またそれに近接した地域に住まいを持ちたいと希望している。》で始まる。小説というよりライフハック系のブログなのかと思ってしまう。ただ、最初の文が「探し求めている」ではなく「探し求めていた」と過去形にしているから、まだしも小説っぽいのだろうか。

・・・ただし、小説と評論を明白に見分けるコツはあります。小説「このあいだ東京でね」に無くて、評論「日本語が亡びるとき」にだけ有るものがあるのです。それは何でしょう。

答えは、ページの上下に引かれた黒い線。

同号なら、保坂和志「Kの眠り、ビュルゲルの情熱――カフカ『城』ノート」にも、古谷利裕「誰かについて考えている誰か、のことを誰かが考えている――岡田利規論」にも、前田塁「探偵の物語2008――平野啓一郎『決壊』をめぐって」にも、福島亮大「神のいない小説――舞城王太郎ディスコ探偵水曜日』論」にも、一様に黒い線が引いてある。(しかしこうみると新潮って改めてすごいとおもう、現在の編集長になって以降)


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★このあいだ東京でね
 このあいだ東京でね