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【2019 輪廻転生】

★Self-Reference ENGINE/円城塔

 Self‐Reference ENGINE (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション) Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)


知能・言語・論理。あるいは人工知能と地球外知性。はたまたビッグバンや宇宙の果て。それを考えだしたらどんどん突飛な話が浮かんできた! ……その醍醐味と興奮そのもののような小説。

そう言うと「まるでSF」に思えるが、そうではない。

SFの多くは、知能、論理、言語をダシにしつつも、結局は人間っぽいいわば人生を踏まえたストーリーに引き込まれる。だが「セルフ・リファレンス・エンジン」では知能や論理や言語のふしぎ自体をずっと見つめ続けることになる。人生という事実はわれわれには最大の関心事だ。しかし、われわれが同じく事実として使っているこの知能、この言語、この論理もまた、人生が描き出すのと同じほど広い空間を、人生が描き出すのと別個のどこかに間違いなく備えている。そのことを、この小説を読みながら繰り返し思い知った。

言い換えれば…。通常の小説は人間について書かれ社会について書かれている。「そうそう人間ってこうだよね〜」「そうそう社会ってこうだよね〜」と。「人間はすごい」「人間はひどい」「え、これいったいどんな人間?」「まさか、そんな人間ありえない!」などなど。この「人間」のところを「言語」や「論理」や「宇宙」に置き換えると、円城塔の面白さが説明できそうだ。


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時間の流れが混乱する、つまり「過去・現在・未来の区別がつかなくなる」ことは、現実の人生や社会では起こらない。想像もあまりしない。だから「タイムスリップなんて結局SFだよね」と誰しも内心では見限っている。

ところが。われわれは実は、言語を使って過去や未来を考えている。考えるだけでなく書きとめもする。そこには希望や妄想も紛れ込む。そうするとどうだろう、過去・現在・未来は影響しあい、その区分けも曖昧になっていないだろうか。

とりわけ小説のようにきっちり構成されしっかり持続する言語に取り囲まれていれば、書かれている世界=読んでいる世界は、すべて現在進行中。時空のワープなんて平然といくらでも起こっている。SFでなくてもあらゆる小説で起こっている。

過去も未来も星座も超えるから〜(http://www.youtube.com/watch?v=QT8tCEFQ1Q0


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この比類のない感じは、ボルヘスの小説を初めて読んだときに匹敵する。安部公房『壁』にあった初期短編も思い出した。あるいは、円城塔における科学の展開は、高橋源一郎における文学の展開のようだ。

芥川賞のおかげで、田中慎弥の記者会見を楽しむことができ、石原慎太郎の傲慢を思い出すことができた。しかし芥川賞がなければ、私はこの作家も知らないままだっただろう。(芥川賞は三面ニュースなのだが、じつは文学ニュースでもある。ニコニコ動画だけが文学マスコミとして機能していた)