東京永久観光

【2019 輪廻転生】

より遅く、より低く、より弱く(思考)


たとえば北野武坂本龍一ソニー製品が海外で高く評価されて、私は無邪気に誇らしかった。あるいはもし母校が甲子園に出場したりすれば、そりゃ嬉しいだろう。これは、複雑もしくは単純なカラクリによる錯覚である可能性がきわめて大きい。それでも、自分がそう感じてしまうという事実はあまりに明白で、その根拠や是非を問う議論には興味津々だけれど、それ以上に、この事実の揺るぎなさの方がどうしたって重い。この闇雲さは、日本の現在や過去における行いの功罪とも、じつは別次元の話なんじゃないか。――じゃあ何の話だろう?

念のために言うと、ナショナリズムを一度も疑わない人というのは、ちょっと救いがたく思う。だがそれにも増して、ナショナリズムに何度も首をかしげているくせに、けっきょく今度のオリンピックでも当然のごとく日本を応援してしまいそうな私は、もっと救いがたいアホなのか。まあアホ同士、オリンピックで大いに踊るのは構わないだろう。いや時には、中国人であれ日本人であれイラク人であれ米国人であれ、幻なのか現なのか判然としない憎しみのなかで、思わずペットボトルを投げつけてしまうくらいは、まあいいじゃないか。ただもう爆弾だけを投げつけないことが重要なのであって、それ以外のアホは、さほど深刻ではない。あいかわらず子供みたいな意見? 

参照→http://kotonoha.main.jp/2004/07/28patriot-rewrite.html