https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2024/02/27/000000
続く↓
『光る君へ』では前回も花山天皇の死んだ后が巫女にのりうつって出てきて壮観だったし、かたや『ねじまき鳥クロニクル』がまた加納マルタとか思い切りまるきりスピリチュアルで、だがしかし「やれやれ」とはならずクスクスという感じなのがおもしろい。この小説全体がスピリチュアルだ。
この間の『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』で河合は、源氏物語に出てくる怨霊などについて「あんなのはまったく現実だと僕は思います」「もう全部あったことだと思いますね。だから、装置として書いたのではないと思います」と言っていたのも印象的だった。だったらつまり事実なんだろう。
それにしてもスピリチュアルというのは不思議なもので紀伊国屋やブックファーストでも科学書の界隈に独立の棚がひっそり存在する。5年ほど前から無神論者の私は眺めるだけで手に取ることはないが、そんなことをツイートすることもないわけで、しかし今ツイートした。スピリチュアルは現実である。
まあしかし、今どきの「AIに聞いてみましょう!」というのは、デルフォイの神託とか安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)の占星術とかと、ちょっと似たことをしているのかもしれない。
河合隼雄「ぼくが、だれかの治っていかれるのに立ち会っていますね、そうすると、やっぱりものすごくおもしろい偶然が起こるのです。その人はその偶然を契機によくなられるのですよ」(上掲書) なんでこんな話をするんだろうと思ったが、『ねじまき鳥』を読んだばかりだったのだな!
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https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2024/03/04/000000