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【2019 輪廻転生】

物理学が哲学を凌駕する例か

http://www.phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tanimura/time/note.html

 

物理学者の、哲学者に対する、根本的な疑義が示されているようで、興味深い。

 

《例えば「地球温暖化は実在するか」という問いは、言語概念分析で答えが出る問題で はないだろう。「大気中に二酸化炭素は実在するか」という問いも「遺伝子は実在する か」という問いもそうだろう。「○○の実在性を哲学的に問う」という語句は、もはや 形容矛盾であると思う。いまの哲学は、実在についての答えを出す方法論を備えていない》

 

次は前提として書かれたものだが必読。

《人間の言葉は、人間のサイズやスピードに見合ったことがらを述べるのに適している。 しかし、光速の 99 パーセントの速さで走る素粒子の反応現象や、粒子と波動の二重性 を持つ電子や光子が引き起こす現象を語るのには人間の言葉は適していない。経験した ことがないことでも発話できるというのは人間の言語の大きな特徴であり、例えば「明 日この部屋にゾウが来る」というように経験したことがないことがらも述べることがで きるが、せいぜい経験の組み合わせで想像がつくことを述べているだけである》

…踏まえるべき人間言語の限界。

 

《哲学者たちは、あなたがたのおそらく唯一の武器である言葉と論理さえ使いこなして いない。時間の始まりがあることを証明したと言いながら、論理の穴だらけの、証明に なっていない証明を書いている》

哲学者はまず2001年宇宙の旅に出て少なくともスターチャイルドになってから議論開始すべき?

 

ダメ押し的に

《主観的意識経験は実在するか、とか、時間の経過は実 在するか、とかいった問題は、概念の言語分析だけで決着がつく問題だと哲学者の皆さ んは本気で思っているのだろうか?》

《私は哲学という学問の歴史的価値は認める。しかし、いまや人類が世界を観察したり 世界を操作したりするテクノロジーは百年前の人類が想像もしなかったレベルに達し ている。それでも何千年も前から使われている言語という道具のみに頼って哲学研究を 営むという気が、私には知れない》

 

とりあえず「哲学に立つ瀬なし」の印象が濃厚。しかし、哲学と科学はそもそも違うことをしているとは言えるかもしれない。哲学と料理が違うように。科学と作曲が違うように。

 

それにしても図らずも、理論物理学者が実在や時間をどうとらえているのか、その正直な気持ちが珍しくもかなり伝わってきた。反証可能性パラダイムといったものがいわば方便とも言えることなども。その点では、理論物理学といえど「理論100%というより実践の学問である」という解釈も可かも。


なお私としては、「理論物理学者が実在や時間をどうとらえているのか、その正直な気持ち」だけでなく、「そもそも物理学的に実在や時間はどこまで解明されているのか」そのおそらく最前線に簡潔に触れる、ありがたい機会でもあった。

 

<12月7日>

《時空・宇宙・物質・素粒子などの作りや振る舞いは、人が寝て座って思いを巡らして可能性を列挙すればいつかは当たるようなものではない。別に物理学者の想像力が哲学者の想像力を上回っていたからそうなったのではなく、自然界が人間の想像力を遥かに超えていたのである》

これが結論かも。

 

ところで、たったいま奇妙なつながりに気づいた。「人が語った言葉は単なる媒介ではない」と、デイヴィドソンは見抜いた。岸政彦も見抜いた。単なる媒介ではなく実在に裏打ちされているのだと。谷村省吾の視点も類似する! 実験観測は実在そのものではないにしろきっと実在に裏打ちされていると。