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【2019 輪廻転生】

羊をめぐる冒険/村上春樹(1)


何の脈絡もないが、『羊をめぐる冒険』を久々に読み始めた。これが面白くて あっというまにページが過ぎる。ただ「いつ本題に入るんだっけ」と思う。「なんだこれ長い前置きだったのか」「あれこれもまた前置だよ」みたいな。

そんなふうに、面白いのと先が気になるのとで、とても中断などできずに読み終えた。「そもそも小説って無理したり苦労したりして読むもんじゃなかったよな」と思い直す。しかしながら、改めて問い出すと、わからない。「羊って何のこと」とか。「鼠はなんで死んだのだ」とか。


今さら解釈を知りたくなって本を探した。


行き着いたのが『村上春樹スタディーズ 01』。このシリーズは大勢の文学研究者や文芸批評家の春樹評をたくさん集めており、『01』は初期3部作(風の歌・ピンボール・羊)を主に扱っている。 …しかし「羊って何のこと」「鼠はなんで死んだのだ」といった大衆的な真っ直ぐな問いに真っ直ぐに答える人はいないようだ。だからそこは諦めた。(いや結局、そうした真っ直ぐな問いに真っ直ぐ答えた本というなら、まさにこれかなと思い直している。→2011.11.3へ)



ただ、『村上春樹スタディーズ 01』で収穫だったのは、畑中佳樹の「アメリカ文学村上春樹」(国文学85年3月)だ。

畑中は《…アメリカ小説を読むのが大好きな男が、ある日たまたま小説を書き始めた。それだけだ》という見方をする。さらに《ゴダールトリュフォーがいわば映画愛を主題にした映画作家なら、村上春樹ジョン・アーヴィングは小説愛を主題にした小説家であると言えるだろう》と。

ここで目を留めざるをえないのは、この場合あくまで「アメリカ小説」であって「アメリカ文学」ではないと畑中が強調している点。

《「文学」を「小説」と書き変えない限り、村上春樹という小説家との擦れ違いは必至である》《春樹は文学から学んで文学を書いたのではなく、小説から小説を作った》のだと。ちなみに、「羊をめぐる冒険」にはアーヴィングの「ホテル・ニューハンプシャー」からある箇所がたくみに引用されているらしい。

このとき、小説は文学ほど「偉くない」のかどうかは関係ない。むしろ畑中はこう断じている。《読者の側の「文学」に対する過敏症と「小説」に対する不感症》が問題だと。

その証拠として畑中が挙げるのは、「風の歌を聴け」に登場する かのデレク・ハートフィールド。この架空作家、じつはロバート・E・ハワードという実在したパルプ作家にそっくりらしいのだ。「アメリカ小説」に詳しい畑中にはそんなこと自明なのに、「アメリカ文学」にかまける方たちときたら完全に見落としてしまってるよ、というわけだ。


私としてはここから2つの重要なことを得た。

1つ。「羊をめぐる冒険」で鼠からの手紙がポストに届くシーンは、チャンドラー「長いお別れ」でテリー・レノックスからの手紙がポストに届いたシーンに捧げられているに違いないと、高橋源一郎が『小説教室』(岩波文庫)で指摘していた。それを当然思い出す。

畑中や高橋のこうした観点は、今では常識かもしれないが、いずれにしても、「羊をめぐる冒険」の味わいの秘密をさぐろうというときには、最重要の、そうでなくても不可欠の観点だろう。そう確信した。

もう一つ。「羊とは何か」「鼠はなぜ死んだのか」も、要するに文学的に問うからややこしいのであって、もっと小説的に問えばいいんじゃないかということ。――その場合もちろん「じゃあ小説的って何だよ」ということになり、それはそれでわからない。それでもその問いには「文学的とは何か」の問いに勝るとも劣らぬ別の深さがあると思われる。


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羊をめぐる冒険村上春樹(2)http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20111103/p1

羊をめぐる冒険村上春樹(3)http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20111224/p1
 

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羊をめぐる冒険村上春樹
 羊をめぐる冒険 (上) (講談社文庫) 


村上春樹スタディーズ 01
 村上春樹スタディーズ (01) 


ロング・グッドバイレイモンド・チャンドラー村上春樹訳)
 ロング・グッドバイ 


★一億三千万人のための小説教室/高橋源一郎
 一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))