東京永久観光

【2019 輪廻転生】

★海よりもまだ深く/是枝裕和

http://gaga.ne.jp/umiyorimo/


映画『海よりもまだ深く』をアマゾンプライムで視聴。

むしろこっちがA面で、『万引き家族』はB面だったのか、という印象。ぜんぜん違う話ともいえるが、『万引き』が暗黒サイドなら『海よりも』は美白サイド。台風の来る今夜のほうが特におすすめ。

樹木希林が演じる老母は、姿も心も人生も、『万引き』のダークな婆さんより、もちろん美しい。NHKのドキュメンタリーの樹木希林本人よりも、説得力のある深みが読み取れた。ちなみに、『寺内貫太郎一家』のパンクな婆さんは、当時の本人に近かったのではないか。

樹木希林の老母の顔つきは、私の母の母を思い出させなくもなかった。私の母は年老いる前に死んだのでどんな老母になったかは思い浮かばなかった。

阿部寛は、もし本物が西武線の駅でソバを食べていたり、清瀬団地の公園を歩いていたりしたら、目立ってしかたないはずだが、そういうことを完全に忘れさせる風情で、とてもよかった。

とはいえ、少し横にずれてダークサイドに落ちて、『万引き』のリリー・フランキー(『海よりも』のリリーではなく)が演じる男のようなストーリーをたどる路もあるだろう。『海よりも』が絵空事でないなら、『万引き』もべつに絵空事とは言い切れない。

台風の一夜がきっかけとなって、なんらかの気づきが導かれたり、ひとつの思いが定まったり、といった展開は、やっぱり『台風クラブ』(相米慎二)を思い出す(具体的な話は忘れているけれども)。

台風クラブ』公開の1985年に、台風の映画は1つだけだったが、2016年の『海よりもまだ深く』で、台風の映画は2つになった。そう仮定すると、これはつまり、日本映画の戦後も長くなったが、まだ大して長くない、ということなんだろうか?

台風の映画が1本だった80年代、戦後日本映画の歴史はすでに相当長いという認識だったと思うが、それが2本になった2010年代からみれば、80年代自体がもうほんとに「遠くなりにけり」という感じだ。

そもそも映画の歴史自体が120年ほどで、それは長いのか短いのかということを考える。そういえば、川島雄三の『暖簾』という映画では、1934年の室戸台風が主人公夫妻の昆布工場を壊滅させてしまう(映画は1958年だからこれも戦後か)

というふうに、私が台風で思い出す映画が2、3本しかないのは、何故だろうと改めて考える。理由は、もちろん私が映画をあまり知らないせいだが、それだけではなく、人ひとりの記憶なんて2〜30年しか持たず、生きるのすらせいぜい数十年だからだ、とも言える。

…のだが、それよりなにより… 映画の歴史120年というのが、とても長いようで、まだまだ短いのかもしれない、ということが言いたい。映画がこの先100年、200年と続いたならば、見るべき台風の映画も10本とか20本とかになるわけで、アマゾンのプライムがまだあっても、全部見るのはとても大変だ。

ちょっと比較すれば、民主主義や人権意識は300年くらいとけっこう続いている。キリスト教は2000年も続いている。社会主義国家は100年ほどでいよいよ消えつつある。『ホモ・デウス』を読み終えたばかりなので、そんなことが気になる。

それと、「海よりもまだ深く」はテレサ・テンの歌「別れの予感」にあるフレーズとのこと。劇中にもさりげなく絶妙なタイミングで流れてくる。ということになれば、『ラヴソング』(ピーター・チャン)を思い出さないわけにはいかない。つまり「テレサの歌の映画」も2つになったのだ。

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http://ours-magazine.jp/borrowers/koreeda-1/

そうだ、『海よりもまだ深く』は、台風の映画であり、テレサ・テンの歌の映画でもあるが、「団地の映画」でもある。そこに気づかないでどうする。団地の映画で私が思い出すのは、川島雄三『しとやかな獣』、あとジブリ映画の『耳をすませば』。ああ『家族ゲーム』も団地か。


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海よりもまだ深く』は、会社のダメな先輩(阿部)をなぜか慕う池松壮亮がまた良かった。住宅街で自転車に乗ったまま猫探しかなにかのチラシを張っている遠景のなかで、自らの消えた父への思いをぼそっと語ったシーン。