『2001年宇宙の旅』原作。再読している。
素晴らしい。
モノリスに出会ったヒトザルに何が起こったか。映画では、道具と攻撃という物体と行動を使って決定的な変化を端的に見せるが、小説では、そのときの内面の覚醒を描写している。なるほど、それはつまり認知のジャンプなのだ。きわめて迫真的で説得的。
認知のジャンプとは。餓死寸前の日々を送るヒトザルが、ふと満腹で幸福な自分たち親子を想像する。獲物である傷ついたカモシカが洞窟の外にいるときに、それが洞窟の中に引っ張り込まれた状況をイメージする。『サピエンス全史』にもあった「虚構」を思い描けるようになったのだ。
20万年前に誕生したヒトは、現在までゲノムは変わらないが、7万年ほど前に脳のネットワークが変化して現在の知能を獲得したという説がある。小説では、時期は異なるがそうした認知のジャンプとはいかなるものだったかを、ひとつありありと実感させて、感動的というほかない。
認知のジャンプがもたらす隔たりは巨大であり、モノリスに誘導されなかったヒトザルには、骨の武器を手にしたヒトザルと向き合っても、それ(骨の武器)が何かわからないだけでなく、それが目に入ることすらおぼつかない。そして、それは重大な経験であるにもかかわらず、記憶することすら難しいようだ。
7万年前に起こったかもしれない認知のジャンプは、おそらく決定的だったのであり、それほどのジャンプにヒトがまた巡り合う可能性は、あまりないのだろう。しかし私たちが今もなにか新しいことが「わかる」ときには、小規模でもなんらかそうした認知のジャンプが必ず起こっているに違いない。
たとえば、たとえば… 量子力学とか線形代数とか、わかるはずのなかったものが、いつか「ああなるほど、そういうことね!」とわかるというのは、すなわち認知がジャンプしなければ、ありえないと思われる。さて、モノリスではなく、書物やAIを頼りに、ヒトザルからヒトへ、私はジャンプできるのか?