東京永久観光

【2019 輪廻転生】

考えてもしかたないが、考えなくてもしかたない


毎日そんなにいろいろ考えてどうするんだと自分で思う。とはいえ、そんなになんにも考えなくてどうするんだと誰かに思うこともある。そうだ、考える以上に何かあるのかと。それどころか、考える以外に何があるのかと。…それは言い過ぎか。

でも、たしかに考えても仕方ないのが人間かもしれないが、考えなくても仕方ないのも人間だろう。…そういえば、人工知能は考える以外のことをしない(私の定義によれば特に。TARSをのぞいて)  もし人工知能が実は考えてなどいないのだとしたら、人工知能は何もしていないことになる。


「あれ、これでツイート終り? きみ考えるってその程度?」(天の声、または、電の声)


なんでもかんでも考えりゃいいってもんじゃないが、なんでもかんでも考えないのがいいってもんじゃない、そう思う。それはひょっとして、なんでもかんでも自由がいいと言われる一方、なんでもかんでも自由がいいわけではないとも言われるのと、似ているか。

「考えてばかり」に問題があるとしたら、考えてばかりでは、その考えがただやせ細っていくように感じられることだ(この一連のツイートも同様)。しかし、考えてばかりでないときというのは、考えがただ薄まっていくだけかもしれないではないか。

とはいえ―― 哲学というのは、たぶん、思考をやせさせることで思考を深まらせる。問題を極小まで限定することで、解答を極大まで明瞭にする。確実な点を指定できなければ、確実な線も確実な面も指定できない。

だが(考えは行きつ戻りつしてばかりだが)、考える競争で人は猿に勝つが、考える競争で そろそろ人は電(人工知能)に負ける。いやもう検索や将棋では完敗だろう。どうするんだ、人間!


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自然に考えよ…? ピース又吉吉田拓郎の「イメージの詩」に衝撃を受けたという。その歌詞「だれかが言ってたぜ おれは人間として 自然に生きてるんだと 自然に生きてるってわかるなんて なーんて不自然なんだろう」(聞き取り)