東京永久観光

【2019 輪廻転生】

世界史がすべての謎を解く


なぜルーマニアを旅行したのかというと、ただ、東ヨーロッパがどんなところなんだろうと前々から思っており、なかでも少しは知っていてもよさそうなのにホントに知らない国がルーマニアだったから、といった理由だ。

ではルーマニアはどこに行くべきか。調べてみると、古い不思議な教会がいくつも世界遺産になっている。ではそれらを回ろう。ところがそれぞれ離れた地方にあるので、国内を鉄道などでぐるっと一周する必要がある。そうなると旅程はもう自動的に決まってしまうのだった。

というふうにして、ブコヴィナ地方にある壁画で彩られた修道院、マラムレシュ地方にある背の高い木造教会、トランシルヴァニア中心部にある要塞化された教会などを観光した。いずれも田舎の村にひっそりと残されており、車をチャーターするなどして訪ねた。

最初に行ったのがブコヴィナの修道院群。石造りの壁いっぱいに天国や地獄のフレスコ画が描かれている。中に入ると無数のイコンが礼拝堂を飾り人々が祈りを捧げている。




ドライバーを頼んだ男性はとてもフレンドリーで壁画の意味などを熱心にガイドしてくれる。といっても英語は上手くない。ビザンチンの首都をオスマン軍が攻め落とした1453年のことを「ワン・フォー・ファイブ・スリー」と表現するくらい。そして自慢ではないがこちらも英語は不得意なので「は? え?」と聞き返してばかりになる。すると彼は「伝わらないのは自分の英語が拙いせいだ」とばかり思い込み嘆くことしきりで、妻に電話して英単語を確認したりまでして、いっそう熱烈に説明を繰り返す。そうこうしながらも、ルーマニア正教会(オーソドックス・チャーチ)の盛んな国なんだという基本イメージだけは実感として伝わってきた。

彼はまだ30代くらいだが信仰心に篤いこともわかってくる。複数見に行った教会のいずれでも礼拝を欠かさない。形だけという感じではなく暇だからというのでもない。昔 私の祖母などが毎朝仏壇に熱心におまいりしていたのを思い出す。それくらい真面目に神に祈る人がこの国では現在も珍しくはないのだろう。「正教会こそがキリスト教の正統なんだ」と何度も強調し「日本にも正教会があるから行くように」「カソリックプロテスタントに行ったらダメだよ」と約束させられた。(ちなみに お茶の水にある聖ニコライ堂正教会


さて、こうして修道院をいくつも巡りながらつくづく思わされたのは、私はイスラム教をぜんぜん知らないがそれと同じくキリスト教もぜんぜん知らないなということ。ついでに仏教もだ。もうすっかりいい大人、いやもうすっかりいい中年だというのに。

ふだん出不精の者が海外旅行などすると通常の10倍くらい活動的になるため、ホテルに戻れば毎度疲れきってすぐ眠ってしまうのだが、そのほんの短い間に読む本の1つが、今回はウィリアム・H・マクニールの『世界史』だった(中公文庫)

そしてこの文庫本が本当に素晴らしいのは、きょう1日のきわめて偶発的で個人的な出来事や感想に対してすら、そのなんらかの背景になるような記述がどこかに見つかり納得させられるということだった。

たとえば、そもそもキリスト教ユダヤ教を源流としながらローマの人々の心を新たに決定的に圧倒したのは何故か。

キリスト教の源流に種々の検討を加えるあまり、福音書使徒行伝に素朴な筆で語られているいろいろな出来事が、なにか或る新しい、異常に強く人の胸に訴えるものをもたらしたのだ、という事実を忘れてはなるまい。疑いもなくイエスと彼の弟子たちは、神が速やかに現れて力を行使し、邪悪な世界を正してくれるものと期待していた。あに計らんやイエスはローマ人の役人に捕らえられて十字架にかけられてしまい(三〇年ごろ)、期待は偽りだったかに思えた。ところがまもなく、絶望した使徒たちはとある「階上の部屋」に集まり、突然、胸の熱くなるような彼らの主の存在を感じたのである。このことは十字架上のイエスの死がけっして終わりではなくむしろはじまりであることの疑いようもない証拠と思われた。新しい希望の奔流とともに、弟子たちは彼がまもなく栄光に満ちて戻ってきて、長く待ち望んでいた「審判の日」を開始するであろうと結論した。彼らの友人であり主であるイエスこそ、大むかしから予言されてきたメシアであることが今こそ明らかになった。(……)
 これほどの驚くべきニュースは伏せておくことは難しかった。それどころか、使徒たちは昂奮のためにいても立ってもいられず、およそ耳をかそうとする者ならだれであろうとつかまえて、今までおこったこと、これからおころうとしていることのすべてを説明しようとした。この熱狂した少数の伝道者を小さな核として、そのまわりに、歴史的キリスト教の厖大な全組織が徐々に形成されていった》(上巻 pp.259-260)=増田義郎佐々木昭夫訳=

壁画の素朴な筆致そして彼の熱烈な信仰(説明)もまた、こうしたキリスト教の原点からべつに隔たってはいないのだと、しみじみ思った。

カソリック正教会が大分裂した1054年(ワン・ゼロ・ファイブ・フォー)や、その後正教会トルコ人イスラム教徒ともカソリック教徒とも敵対さぜるをえなかったことも、記載はもちろんあるが、加えて興味深かったのは、正教会において修道院が果たした独特の役割が書かれていたことだった。

トルコ人がヨーロッパに地歩を築いた直後に、ギリシャ正統派教会内に興味深い変化がおこった。ヘスカストという神秘主義の僧の団体が、従来、総主教その他教会内の高位の役職を自由に動かしていた「政治家たち」を打倒したのである。それ以後、主教をはじめとして、高い位の僧はみな修道院から選ばれることになった。これはラテン教会ではついに見られなかった制度である。この僧団の勝利は、神との親しい交感の結果であるとして、ギリシャ正教の社会内に、民衆的な、感情的に強力なひとつの精神を注ぎこんだが、それはちょうどトルコ人がバルカン内陸のほとんどを支配しはじめたときだった。その結果、小アジアで広く行われ、海峡のこちら側のヨーロッパでも見られはじめていたイスラム教への改宗はほとんど止んでしまい、バルカン諸地方でキリスト教徒が多数を占める原因となった》(上巻 pp.390)

この話がルーマニアの風変わりな修道院にもズバリ当てはまるのかどうか定かではないが、「神との親しい交感」「民衆的な、感情的に強力なひとつの精神」と言うなら、きょう見てきた建物と人々の光景はたしかにそれを裏付けていたように思われる。




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マクニールの『世界史』はだいぶ前に少し読んだ。そのときは、著者が「世界史を語るための必然的な枠組みは実は定まっていない」という主旨のことを最初に述べていたのが印象的だった。ところが、同書の原題は「A World History」であり、そこには「一つの世界」という意味が込められていると聞く。多数のバラバラな世界が多数のバラバラな歴史を歩んでいるのではなく、世界の各地は想像を超えて互いに大きく影響しあい、それどころか1つの世界と言ってよいほど歩みは似ているという基本認識があるのだ。

たとえば――

事実、人間社会がはじめて文明化した複雑さと規模に到達したとき以来、旧世界では、たった四つのことなった大文明の伝統が、共存してきたに過ぎない。またアメリカ原住民の発展が、常に力弱く後進的だった新世界では、三つのことなった文明が発生しただけである。
 このような事実の故に、人間の歴史をひとつの全体として概観することが可能になる
本書をまとめる基本的な考え方は簡単である。いついかなる時代にあっても、世界の諸文化間の均衡は、人間が他にぬきんでて魅力的で強力な文明を作り上げるのに成功したとき、その文明の中心から発する力によって攪乱される傾向がある、ということだ。(…)
 時代が変わるにつれて、そのような世界に対する攪乱の焦点は変動した。したがって、世界史の各時代を見るには、まず最初にそうした攪乱が起こった中心、またいくつかの中心について研究し、ついで世界の他の民族が、文化活動の第一次的中心に起こった革新について(しばしば二番せんじ三番せんじで)学びとり経験したものに、どう反応ないしは反発したかを考察すればよいことになる》(序文)

これを読んで私は、「世界には無数の出来事があったけれど、それには頂上と裾野があり、しかも頂上は数えるほどわずかなのだ」と思い至った。(http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20061127/p1


旅行から帰ったあとも『世界史』は面白くどんどん読んでいる。キリスト教の誕生やバルカンの正教会については上巻だが、今は下巻を開いている。第3部「西欧の優勢」から始まる。

著者はこの世界の長い歴史を大きく3つに分けている。ユーラシアの4大文明が成立してくるまでの紀元前500年まで。これらの文明がいずれも抜きん出ることなく平衡状態を保ってきたその後の1500年まで。そして1500年以降はただ1つヨーロッパに起こった変革が世界を覆い尽くしていく。その第3部を読んでいると、地理上の発見から宗教改革、市民革命、産業革命などに至る近代の歴史こそ、まさにこの本の核心部であり世界史の核心部でもあるような気がしてくる。

マクニールは、1500年を境に西欧に何が起こったかをまず述べたあと、その影響がどのように各地域に及んだかをロシア、南北アメリカイスラム世界、インド、東アジアなどに分けて記していく。東アジアでは中国とは別に日本についても必ず言及する。極東の島国なので独特の歴史をもつのは当たり前なのだが、客観的にそれを認識するのは興味深い。

たとえば――

西欧の学問が高く評価されたのは、それ自体のためだけではなく、それまで気がつかれなかった朱子学の教義の欠点を指摘していたからでもあった。こうして将軍への批判、天皇への崇敬、日本的愛国心、西洋の学問への情熱等がすべてひとつに合流して、一種の知的な地下水脈を形づくったのだった。(…)
 日本の開国は、いわば銃の引き金をひいたようなものだった。開国自体がこの国に革命をもたらしたのではない。だがそれによって、既存の体制に反対していたグループが政権につき、天皇と古来の正統復活の名のもとに、西欧の産業技術をそっくり自分のものにしはじめたのである。ヨーロッパ文明との接触がもたらした機会を利用するうえで、これほどうまく受け容れの用意ができていたアジアの民族はほかになかった。徳川時代の日本に広く見られた対立する理念間の緊張や文化の二元性を、他の民族はかつて一度も経験していなかったからである》(下巻 pp.194-195)


私たちが今いる世界は何故こうなっているのか。そんな大きな問いに答えるのは、宇宙や素粒子に関する学問や生物進化に関する学問の役割だろうと思っているわけだが、少し違ったスケールでまさにその答えを示しているのが世界史なのではないか。そんなことに思い至った。

2014年の日本に住む私がルーマニアという国についうっかり行くことになった。その理由もまた世界史をひもとけば何がしかのヒントは見つかるに違いない。そこになければどこにあるというのか。


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世界史/ウィリアム・H.マクニール
 世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)


ルーマニア世界遺産については → http://www.romaniatabi.jp/unesco/


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