みんな、気持ちをいちいち言葉にしてツイートするけど、気持ちをいちいち鼻歌にしてツイートできるといいね。
ただ、「かなしい」というきみのツイートは、言葉であるがゆえに、「かなしい」という他のだれかのツイートと、確実に連結し、想定どおり拡散する。つまり意味が通じる(それはネットにおける実態としてはリンクされサーチ可能ということ)
一方、かなしい鼻歌は、言葉のように連結・拡散できるだろうか? というか、そもそも鼻歌のメロディーに意味はあるのか?
一般的にいえば「音楽は言葉の代わりになるか」という問いになる。
しかしそのとき、まずは中立的になろう。ヒトは何万年もかけて言葉で思考・会話することに慣れてきた一方、鼻歌で思考・会話することには単に慣れていないだけではないのか、と。
◎参照
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20100129/p1
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20100325/p1
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20100626/p1
◎悲しい歌