東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ネットは現実を超えて無限?


なんでいつもネットはこんなにやめられないのかというと、どこまで行っても次があるからなんだろう。

ネット以外に、こんなにも次から次へと変わっていくものはないと思う。物も人も本も出来事も。

しかし言い換えれば、ネットがどこまでも進んでいく・変わっていくのは、実は、「これだ!」というものがぜんぜん出てこないからでもある。「これではない」「これではない」「これではない」「これではない」……

とはいえ、本当に最後まで何も出てこないかというと、そうでもないところがネットのすごいところで、一晩か二晩に一回くらいは「これだ!」というものが出てこないこともないのだ。

むかしこんな歌があった。長距離のバス待つ俺の人生はさておき旅はまだ先がある

旅も、いくつ外れが出ようとも、先にいけば何かしら当たりが待っている気がする。そして、実際まったく何もないわけではなく、たまには何かがある。

世界はそう狭くないので、旅行者もそう心配しなくてよい。ダメなら次へ。そのうちきっと何かある。世界は直感としては無限なのだ。

そしてここがポイントだが、現実世界の無限感に増して、ネットの無限感はもう1つ次元が上なのではないかと思う。

数学では無限には濃度という単位がある。アレフと呼ぶ。たとえば整数は無限で、実数も無限だが、実数の無限は整数の無限より「濃度が濃い」とみるのだ。

旅の無限感とネットの無限感は、比喩的直感としては、なんかそんなかんじだ。

……いや、最初本当は自分にこう言いたかった。「いいかげんにネットやめたら」と。

むかし、マカオのカジノで大小というサイコロゲームがあり、そこでゾロ目にずっと賭け続け、そしてずっと負け続けたのを思い出す。「次こそ」「次こそ」「次こそ」「次こそ」……。

カジノの夜と掛け金にはいつか終わりがくる。でもネットにはマジで終わりが来ないのではなかろうか。特に金曜とか。はい次、はいダメ、はい次、はいダメ、はい次、はいダメ、はい次……

 *

補足1:変わるのは「タイムライン」だけで、タイムラインの「内容」は変わっていない。内容が変わってないからこそ、タイムラインをたどる(タイムラインを変えていく)のを、毎晩毎晩いつまでもやめられない。

 *

補足2:ツイートが果てしなく続くのは、やっぱりネットが世界中のパソコン(意識や知能)が連結した空前の巨大情報網だからだと、単純に思う。意識や言語は実世界の個人的再構成だろうが、それが全部つながれば実世界をも超える規模になる可能性はある。