明け方、ネットのどこも読むところがなくなるのは、酒瓶を逆さにしてもなにも出てこない感じ。
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タイムラインにきょうの世界のすべてがあると感じられる度合と、新聞にきょうの世界のすべてがあると感じられる度合。
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書き言葉(ツイートを含めて)が論理優勢になるのは必然かもしれない。話し言葉が感情優勢になるのが必然かもしれないように。言葉やコミュニケーションの役割はもとから2つあるのだろう。
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私が右傾化するも左傾化するもフォローするツイッター次第なんじゃないか。付和雷同人生。
世界の中心がどこにあるのかわからない不安。新聞とテレビしかなかった時代が懐かしい。
あるいは、はてなブックマークしかなかった時代が。
ツイッターはユーザー単位で読んだほうがいいのではないか。
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「毎時毎時フォロワー全部をブラウズしていたらマウスを滑る人差し指の指紋がなくなりました!」
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はてなブックマークにコメントを残すと1つ1つにパーマネントリンクが付くようになった(最近だろうか)。これは! ニューロンの働きがメタ化していったり、言葉の意味が抽象化していったりするのと、同じようなことが起ころうとしているのでは?
なお、コメントが付かないブックマークはパーマネントリンクが付かない。これがまた、発火しなければ間引かれる脳細胞のネットワークに似ていないだろうか!
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【マーキングとしてのツイート】べつに何も言うことはないのだが