★『まじめに動物の言語を考えてみた』〜その他いろいろ

『まじめに動物の言語を考えてみた』(アリク・カーシェンバウム )
非常に面白くて、他の継続本をいくつも脇において読みふけってしまう。久々に言語のことをじっくり考えている。
(ヒトの)言語にしかない特性1、意味があること!?──きょとんとするかもしれないが、このことの威力に気がつくべきだ。

 

以下はある読書会で私が報告した感想

『まじめに動物の言語を考えてみた』アリク・カーシェンバウム 
 著者は動物学者。イルカ、オオカミ、チンパンジーなどの音声は私たちの言語と同じなのか。彼等もコミュニケーションを行い概念というものをもつ。しかし「単語に意味がある」「単語の順番に意味がある」「文脈が意味を確定させる」といったヒトの言語の特性を、動物の音声は十分には持たないとみる。さらに核心的には「言語は無限のものでなくてはならないと考えている」「存在しうるもののうち、何かひとつでも表現できないならば、それは言語とは呼べないのだ」と言う(ここは最も興味深い主張だった)。しかし一方で、彼等が人間になる途上にあるのではないことや、言語が欠如しているという見方が間違っていることも強調する。「イルカに必要だったのは、漁や採食や集団防衛の場面での協力を円滑にするのに十分なコミュニケーション能力だ、イルカが野生で生活する様子を見るだけで、かれらに言語はない(※いらない)と、自信をもって言える」「イルカには言語がなかったから、機械を発明できなかったというのは、明らかに事実に反する。むしろ、機械をつくる必要がなかったから、イルカは言語をもたないのだ。これは本書の核心でもある。僕たちが考えるべきは、動物が何を必要としているのかであって、動物がどんな能力を備えていると思いたいかではないのだ」

 

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そういえば、ヒトの言語には意味があるどころか、ヒトの言語だけには「単語がある」ということを知ったのもまた『ゆる言語学ラジオ』だったことを、思い出した。

 

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ところで、ゆる言語学ラジオなどが「性的に消費」されているという意表をつく指摘があると知り、これまた眼が点になりそうだが……

 

上の指摘を知ったのは、おとといの(我が良き友よ)『人文ウォッチ』の特別篇で、そこではこの件がとてもシャープにディープに考察されていると思った。他に取り上げられる多数の雑な出来事に関する一見軽めの考察も、みな同様だった。