東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ほうれん草は原子力レンジでチンせよ


電気なんて私には空気みたいなものだが
実用化された当初の人々には
まさしく神秘あるいは魔法として映っただろう。
それは19世紀後半ごろ。


原子力発電の登場はそれから1世紀くらい後か。


今どき電気を神様として崇拝したり
悪魔として忌避したりする人はあまりいないが
原子力はまだちょっとそうした対象だ。


しかしながら
「電気は平気だけど原子力はダメ」という感覚には
一定の根拠がある。


たとえば
原子力(核力)は電気(電磁気力)とは
まったく異なる原理です、という話を
以下のエントリーが面白く説いていた。
http://d.hatena.ne.jp/essa/20110323/p1


「手術や薬物はOKだけど遺伝子操作はNG」
 というのも似ている。


原子力発電や遺伝子操作は
人間の手が介入する領域が1ランク深いわけだ。


さて、ふとこんなことを思ったのは
またもやピンチョン『逆光』の読書による。


物語の舞台は19世紀から20世紀への変わり目で
当時はどうも
電気というものが世界にもたらす途方もない威力に
騒然としていたようなのだ。同じく
爆薬というものが世界にもたらす途方もない威力も
クローズアップされている。


しかも『逆光』では、
そうした新しい技術が人々の妄想と結びつく。
我々の世界はそうした神秘的で悪魔的な何ものかによって
操られているのだ、といった確信をもつ人々が出てくる。


妄想というと聞こえは悪い。
しかし、そもそも私たちは
この複雑な世界を完全に把握することなどできない。
自分なりにデフォルメした世界像や世界観に合わせて
把握するしかない。


そんなわけで、『逆光』は
人間が世界と折り合える唯一の
しかし間違った方法論について
説こうとしている小説なのではないか?
―いやこれもまた、
『逆光』という複雑な世界を
把握するための妄想だ。


終わり。


…いやもう一言。


柄谷行人は、
感性なんて古いテクノロジーに過ぎない
といった主旨のことを述べたらしい。


「バイオリンで弾いた旋律には感性があり
 シンセサイザーで弾いた旋律には感性がない」
 と思いがちなのは、
バイオリンが単に古いテクノロジーであるからにすぎない
といった意味だと思う。


さて、原子力発電や遺伝子操作が
神秘や魔法のように映るときには
なんだか逆のことが起こっているようで
興味深い。

つまり、
電球や自動車やテレビといった古いテクノロジーには
なんら感性をゆさぶられない私たちが
原子力や遺伝子といった新しいテクノロジーには
なぜか感性を揺さぶられてしまう
という面白さ!