東京永久観光

【2019 輪廻転生】

初twitter


ここには仕事のことを書くようにしよう。ブログのほうは仕事のことは書かないようにしている。

 *

毎度のことながら、ハードルは自分の心だ。怠惰と焦燥。そんなものと戦うのではなく、もっと仕事のために勢力を100%使いたいのに。

周囲からは真面目だと云われていると思う。とはいえ、真面目かというと全然違うのに、不思議なことだ。まあそれくらいしか話題にされようのない人間なのだろう。しかしどう云われるかはべつに全然かまわないのだが。本当にもっと真面目だったらどれほどよかったか。

しかし家で仕事する人は案外みんなこんなものなのだろうか。そう思うこともある。が、やっぱり、自分ほどテキトーで、仕事が嫌いな者はあまりいないのではないか。どうなんだろう。

私はやっぱり、人となにかをするのが、やっぱりストレスになるのだ。人となにかするときにほんとに取り越し苦労の労力をつかったり、微妙にそれを避けようとして余計な回り道や余計な準備をしすぎて、疲れてしまう。

それでもただひとつ「なんとかなる」という呪文のようなものだけは頼りにしている。今までも、ああもうだめだとか、もうまにあわないとか、毎度おもいながら、とりあえず、仕事が完了しなかったことはなかったのだから、今回も、どうにかなるよ、とそれこそまさに「雨男」と同じくらい根拠のない希望

…とこのように土曜なのに、仕事のことを考えている。というか、仕事をこれからしようとしている。なぜなら平日にもっと仕事を進めておくべきが、毎度のことながら、仕事をする気にならず、その埋め合わせを土日にしなければならないからだ。毎度毎度、どうしてこう仕事が嫌いなのか。

というか、仕事が始められない病。みんな同じなのだろうか。ある程度は同じなのだろう。でもここまで重篤な患者はあまりいないのではないか。でも案外みんな人間として似たようなものなんだろうか?

ところが、仕事というのは取りかかってしまえば、取りかかるまでの障害が、いったい何だったのかというくらい、なんでもないということも、毎度実感する。悩んでいるうちが一番辛い。

それは当たり前で、取りかからないかぎり、不安はどこまでも漠然としている。取りかかってしまえば、とりあえずやることが決まり、ひとつ片付けば、次にこれという流れが、自ずとできるので、あとはそれに任せていれば、よい。それが分かっているのに、なんで始められないのか、わからない。

 *

きょうは良い天気になった。昨夜は雨で、しかも蚊に悩まされた。うってかわって涼しい風も通って、ホントに気持ちいい。というか、夜は窓をあけずにエアコンをつけるようにしたほうが、蚊の対策としてはいい。(それは常識なのか・・)

 *

ちょっと前に、『ファーゴ』という映画をみた。DVDで。これが面白かった。ノーカントリーコーエン兄弟が監督というので、期待してみたのだが、大当たりだった。というか、ノーカントリーも面白かったが、ノーカントリーははらはらどきどきのほうが凄すぎた。

むしろ「ノーカントリー」に私が漠然と期待していたものが、この「ファーゴ」で完璧に実現していたといっていい。それはつまり、アメリカ社会の病気、とでもいうか。どうにもならない日常とでもいうか。

美男美女がこれほどまでに出てこない映画というのも、珍しいのではないか。実際ブシェーミなどは、何度も「へんな顔」と呼ばれているし。

 *

なんか朝ご飯食べようか・・

 *

しかしまあ、思ったことは何でもここに書くというのは、どうなんだろう。しかし、大昔、といってもほんとに大昔、思ったことを何でも口に出すというのは、どうなんだろう、などと思った人類の祖先もいただろうか。言語というのはやっぱりおかしなものだ。

思ったことが口に出るというのはおかしなことであり、思ったことを文字に書くというのはさらにおかしなことであり、思ったことをキーボードで打って、しかもそれがすぐ目に見えて、しかもそれを世界のだれもが(原則的には)即座に読める状態になるというのは、いっそうおかしなことだ。
だからまあ、ツイッターはおかしな道具だが、言語そのものがおかしな道具だったのだとも言える。そしてまた、それにしても極めつけの特別おかしな言語の道具としてツイッターが出てきた、ともいえる。まあこれはインターネットというもの、ブログというものの、延長または変体ではあるのだろうが。

仕事の話ではなくなってしまった…