日本人トリオのノーベル物理学賞はなんだかめでたい。「3本の日の丸があがった」と理研の野依氏がコメントしており、う〜んそういうことだよなと微妙な気持ちでもあるけれど、逆にやっぱり北京オリンピックの金メダルだって素朴に「日本人としてめでたい」でよいのかもしれず、いずれにせよ感情というものは不可思議だが間違いはないはずだ。
そんなことを考えていたら、筆頭にあげられた南部陽一郎氏は、なんとわれらが郷里の母校出身というではないか! いっそう身近になってしまった。現在は米国籍で福井市名誉市民とのこと。Where are you really from? いずれにしても、たんに自分と同じ土地にゆかりが深かったというだけで、この他人の名誉と業績がまったくの他人事ではなくなってしまうのだから、私は21世紀のコスモポリタンにはなれないだろう。
ちなみに毎日新聞では、南部くんて「体育は苦手だった」とかつての同級生に回想されており、笑った。87歳にもなって。その同級生Nさんは物理が苦手だったかどうかは不明だ。
参照:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081008-00000054-mai-soci
まあどうせ体育も物理も苦手な者にとっては、北島選手の平泳ぎにはるかに追いつけないのと同じく、対称性の破れ理論にも追いつけない。それでも、たとえば北京五輪の銀メダル効果でフェンシングを始める者が日本でにわかに増えたというように、天才と同じことを自分の体を使って真似てみることは有意義にちがいない。理論物理なら体と紙と鉛筆で。
それにしても、予言されていた6種のクオークが「発見された」「実証された」と言われているけれど、そもそもクオークはおろか陽子や原子すら、人間の目や手にとっては永久に紙の上の話でしかなく、そこは諦めるしかないのだと、私はだんだん確信するようになってきた。
だから、「原子核のまわりを電子がぐるぐる回っていて」とか「陽子というのは、アップクォーク2個とダウンクォーク1個が絡み合ってほぐれない状態になっており」とかいう理論体系は、たとえば(古いが)「心というのは、エスと自我と超自我が絡みあい・・・」とか(月並みだが)「空即是色」といった理論体系に似ているのだと考える。すこぶる突飛な発想にみえても、それによって複雑な現象が矛盾なくエレガントに説明できさえすれば、その理論は有用、いわば「正しい」のだろう。
だから私たちもひとつ、身近にある様々な現象をエレガントな独自理論で説明することを試みよ。この宇宙において金と物が一対一の割合で存在していたなら、投資銀行やリバレッジなんて出現するはずがないのに、なぜかそうなっていない。そのわけは実は、富裕層と貧困層の対称性に破れがあったからだ。需要と供給とが鏡像になっていなかったと言い換えてもよい。さてその基盤として、私たち人間には6種の違ったタイプがあることが予想される。すなわち「勝ち組・負け組・かっこいいやつ・へんてこなやつ・上流・下流」(アップ・ダウン・チャーム・ストレンジ・トップ・ボトム)。リーマン破綻と世界金融恐慌もこれで説明できる! 「あとは実験屋が実証するだけであって・・」
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第一報:http://www.asahi.com/science/update/1007/TKY200810070297.html