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【2019 輪廻転生】

ドミソのイロハ


たとえば「ハッピーバースデー・トゥー・ユー♪」のメロディーは耳になじみやすくハミングもしやすい。ところがこのメロディーの音符を上下逆さにしたり後ろから演奏したらどうなるか。とても聞けないし口ずさめない。世界には様々な音楽が存在するというが、実際にはさほど多様ではない。調性を完全になくした12音階という人工的な音楽も、きわめて聞きづらく、それをよく聞いて育った子どもだからといって、そのような音楽で心がくつろぐようになるわけではない。要するに、我々は誰でも、いいかんじの音楽とそうでない音楽とが直観的に区別できるのだ。でも、それは何故なんだろう・・・

みたいなことが『心のパターン』(レイ・ジャッケンドフ)という本に書いてある(上記は引用ではない)。そしてジャッケンドフは、それは「普遍音楽文法」が根底にあるからだと考える。asin:4000053868

ジャッケンドフはチョムスキーの流れをくむ言語学者。実は普遍音楽文法というのも、普遍文法がいかなるものかを伝えるための類似品として示しているわけだ。

《ちょうど言語を獲得する能力が、学習の基盤を形成する生得的な資源を必要とするのと同じように、音楽文法を構築する無意識の能力も、単に連続した音を「吸収」するだけの能力ではない生得的な資源が根底にあるのです。》(訳:水光雅則)

『心のパターン』は副題が「言語の認知科学入門」。大津由紀雄というこの分野を代表するとおぼしき研究者が、チョムスキーの普遍文法の核心に触れるための5冊を厳選していたなかの一冊。実際とても読みやすい。普遍文法という考えが、いかなる要請によって生まれたか、そしてまた、その考えがいかなる考察を要請するかについて、きわめて低姿勢で丁寧にかみ砕いて書いてくれている印象。

ジャッケンドフは、言語との類似を音楽だけでなく視覚にも当てはめる。さらには、思考や概念というもの自体が必ず一定の普遍的なパターンをまとってしまうのだというふうに考察を進めていく。チョムスキーは言語の意味はさておき文法(統語)だけを検討したが、ジャッケンドフは言語の意味についても文法と同じ位置づけで眺めていると言えそうだ。じゃあその思考や概念のパターンって何? ということになるが、ジャッケンドフが出してくるのは実は「図と地の区別」といったことであり、そうすると、おもしろいことに、チョムスキーの流れをくむ普遍文法の考え方が、チョムスキーに対抗して出現したはずの認知言語学と、なんだか似てきてしまうのだ。まあ我々がこれはだいたい正しいと思うことは結局一つなのであり、両者は言語のそれぞれの面をそれぞれ見つめていると言うことなのではないか。漠然とだがそう思う。

それにしても、言語の普遍文法でもいいし認知の基本形式でもいいのだが、それらが何故このようなパターンに収まるのかを考えるのが、最もエキサイティングだという気がしている。そのパターンとは、やはり地球における自然のパターンや生物としてのパターンを基盤にしているのだろう。ただその一方で私は、たとえば言語には必ず主語みたいなものや動詞みたいなものがあるということや、あるいは、たとえば物を見るときに必ず図と地を区別してしまうということは、もしかして、地球に基盤があるとか人間の脳に基盤があるとかいう以上に、もっと世界そのものに関わるというか、少なくとも人間や地球は超えたところにある真理なのではないかと、なんとなくだが思っている。

なお大津さんは、この『心のパターン』をピンカーの『言語を生み出す本能』と比較し、ピンカー本も「良書ですが、大部であること、著者の文章が非常に凝ったものなので、翻訳者の苦労がそのまま翻訳に反映してしまっている部分が見受けられることなどから、ピンカーの本ほどの艶はありませんが、『心のパターン』のほうをお勧めします」と書いている。(ピンカーの同書上下2冊はだいぶ前に読んだ。たしかに個性的で刺激にみちた表現をしていたと思う。でもむしろ魅力的だった) チョムスキー自身の著書は『文法理論の諸相』(研究社)という本の第1章「方法論序説」が推薦されているが、こちらはなかなか手強い文章だ。asin:B000J95RH8 

ちなみに、大津さんがこれらを紹介しているのは、岩波科学ライブラリーの『ブックガイド〈心の科学〉を読む』。同ブックガイドは、他にも岡ノ谷一夫、信原幸弘、大堀壽夫といった人たちがそれぞれ入門書を示しており、非常に有益と思われる。asin:4000074458

ここ1、2年、言語をめぐる本を分野を広げていくつか読んだ。読むたびにこれこそが決定的に重要な本だと感じてばかりだった。『ヒトはいかにして人となったか』(テレンス・W・ディーコン)や『心とことばの起源を探る』(マイケル・トマセロ)は、上記ブックガイドでも推薦されている。ほかに『認知意味論』(ジョージ・レイコフ)、『認知言語学』(大堀壽夫)、岩波のシリーズ進化学第5巻『ヒトの進化』から「言語の起源と進化」。それから分野は本当に異なるが『言語哲学』(W.G.ライカン)。そのうちメモをまとめようまとめようと思いつつなかなか進まない。そのうち。

関連の過去ログ
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20070110#p1「言語について素朴に考える」
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20070616#p1「言語の起源と進化(ズバリその話)」
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20060702#p1「ボールとは何か、言語とは何か」


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さて話は音楽に戻って。マッキントッシュを買うとバンドルされてくる「ガレージバンド」というソフトがある。今になって触って分かったのだが、これは優れものだ。MIDIも扱えれば生録音もでき、またmp3などのデータのミックスなども可能。ビートルズの『If I Fell』を聴きながら自分も一緒にコーラスして録音してみたり、表示される鍵盤をマウスで叩いて適当なフレーズをそこに重ねてみたりといったことが、いとも簡単にできるのだ。それと何より、多数の楽器のサウンドやリズムのサンプルがいくつも備えられており、それらを適当に組み合わせればそれなりの楽曲が出来てしまうところが、このソフトのポイントのようだ。それを紹介しているブログがあった。

http://webdog.be/archives/06514_030431.php

まあなんというか、あっけにとられる。

というわけで、音楽には基本文法があり基本パターンがあり、我々はそれを組み合わせることで音楽を作り音楽に感じ入る。言語も基本文法があり基本パターンがあるのであって、我々はなんだかんだ書いていても、そうしたパターンの組み合わせをしているに「過ぎない」とも言える。そのうち「ガレージバンド」に続いて新ソフト「ガレージ作家」も出てくるだろうか。そもそも我々が言語を扱うときにはそのようなプログラムを脳で働かせているということになるのかもしれない。そしてもう一度言うが、そうした人間に備わっているらしい音楽や言語の基本パターンがいったいどこに由来するのかというのが、私の最大の関心事なのだ。

そういえば、このあいだ夜中のNHK教育で、秋山仁が音楽と数学の関係について話していた。ドミソはきれいな和音として響く。その秘密は何だろう。1オクターブは12の半音に分割できるので、円を描いて中心からの角度で12等分する。そこにC、C#、D、D#・・・と12の半音を割り振っていく。そして響きのよい和音、たとえば「ド(C)ミ(E)ソ(G)」をつないでみよう。あら不思議「4:3:5の直角三角形」が出来ました。では短調の「ド(C)ミ(E♭)ソ(G)」はどうでしょう。なんとさっきの三角形を裏返した「3:4:5の直角三角形」ではありませんか! たしかに面白い。ではどうして音楽はそのような法則性を持つのか。ドミソとはそして直角三角形とはそもそもどこに存在すると言うべきなのか。人間の脳か。地球の自然か。宇宙の法則か。いやちがう、それを超えたような普遍なんじゃないかと私は叫ぶ。しかしあまり根つめて考えるより、ガレージバンドで遊んでるほうが謎は解けるかも・・・


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では一曲。http://jp.youtube.com/watch?v=Eh5YwjfaCXk