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【2019 輪廻転生】

頼むからもう殺さないでくれ +


参院選の行方より、アフガニスタンの韓国人グループの行方のほうが、ずっと気になるここ数日。

拘束された人質の恐怖やその身内の焦燥を想像するとただ辛い。

それに、タリバンのメンバー釈放要求にアフガン政府はどう応じればいいのか。カルザイ大統領の顔を久しぶりにTVで見ながら、ジレンマの深刻さをおもう。韓国政府はどう動くのだろう。そこには米国の意向も絡むという。

1977年ダッカ日航機ハイジャックの「超法規的措置」がやはり思い出される。福田赳夫「人命は地球より重し」

http://www.youtube.com/watch?v=a2xPsN6sCyQ

2004年のイラク日本人人質事件も思い出すわけだが、あれは5人が全員無事だったので、振り返ってもあまり気は重くならない(そのあと香田さんだけは殺されてしまったが)。ただ自己責任をめぐる論争のほうは、振り返ると気が滅入る。

出国前の韓国人グループを写したスナップが印象深い。表情。服装。集団の空気。2007年に韓国人であるとはどのようなことか。少しは分かる気がする。熱心なキリスト教徒というのも、日本人の熱心なキリスト教徒に似ているようでもあるし。ただ、韓流スターの面影はそこにない。でも、韓流スターであるとはどのようなことかは、私はどうせ関心がない。

では、2007年にタリバンであるとはどのようなことなのだろう。それはけっこう関心がある。だがなかなか想像できない。戦闘訓練の映像などみても私とはあまりにかけ離れた境遇としか感じられない。弱い人質を殺すのは卑怯で無茶苦茶だ。しかし日々それを実行するような生活なわけで、そうするだけの一定の事情や理屈が彼らにあるのは間違いない。とはいえ、殺人を善しとする信条に無理はないのか。それを疑わずにずっといられるものなのか。よく分からない。


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そういえば昔、『狼煙(のろし)を見よ』(松下竜一 asin:439011462X)という本を読み、東アジア反日武装戦線大道寺将司死刑囚に興味をもった。その妻 大道寺あや子元受刑者は上記の超法規的措置で出獄した1人。同書にはたしか、三菱重工爆破(1974年)は誤爆で人を殺すつもりはなく悔やんでいると書いてあった。今でいう格差社会や資本主義に対する異議の気持ちも伝わってきた。それには、その背景である日本の1970年代という時代を私も共有していることが大きいのだろう。そのうえでその人の生活を知れば、必ず共感か反感かどちらかは持つことになる。

ただ一方、1995年のサリン事件の実行犯にはあまり関心を持たなかった。時代が変わったせいなのか、そうした書物に触れていないせいなのか。どうなんだろう。そしてもちろん、アフガニスタンタリバンとは歴史や国を共有せず、彼らの日常も知らない。だからまるで宇宙人であり同じ知性を持つのかどうかすらはっきりしない。



では、死刑囚であるとはどのようなことか。それは想像できまいと思っている。ところが、以下のような書き物を読んでみると、将来への見通しが不透明なままネットにかじりついて世の中を眺め、あれこれ考えている私の生活と、それほど違ってはいないようにも思われてくる。


2005年ロンドン地下鉄等爆破について http://share.dip.jp/hannichi/kitacobu/no273.html
イラク侵攻に対する抗議だとしても、標的を政府や軍に絞らず、無差別に公共交通機関を爆破したことは批判しなくてはなりません。乗客の中には、英軍のイラク侵攻に反対したり、その故に逮捕された人たちまで含まれたかもしれないのに。たまたまその時間に載り合わせて殺傷された人たちには理不尽としか言いようがないでしょう。
 そして、それを言えば、たまたまアフガンやイラクに生まれ、生活していたが故に、米軍や英軍の爆撃を受けて吹き飛ばされた子どもや老人を含む夥しいアフガンやイラクの民衆も理不尽としか言いようがありません。しかも、彼らの死はまったく顧みられることがないか、誤爆の一言で片付けられてきたのだから。
 アフガンやイラクの民衆の死に対して、自らが手を下したものでもあり、G8に代表される富める世界が怒りを表明することはないし、国際世論が今回のロンドンの犠牲者に示したような悲しみを表わすこともありません。
 アフガンやイラクの民衆の命が塵や芥のようにしか扱われないことへの憤りが、9・11であり、マドリードでの通勤列車爆破であり、そして、今回のロンドンであるのかもしれません。》


これはべつに私がブログに書いた文章ではないのだ。