東京永久観光

【2019 輪廻転生】

海外で観光しないと日本で仕事しないみたいなプレッシャー


4月25日。下の日記をインターネットカフェでアップしたあと、アユタヤ行きのため宿に戻って荷造りを始めたところ、リュックのポケットのひとつから転がり出てきたものがある。なんとiPodの充電器とプラグ変換アダプター! 前の宿に置いてきたというのは思い込みだったのだ。

これはもうどうしてもこの一言を口にせざるをえまい。

やれやれ。

さて問題は900バーツのタイ式充電器。こうなったら売るか。経済コミュニケーションの無闇な増大。しかし、議論や物を買うのは得意ではないが、売るのはもっとかぎりなく得意ではない。命がけ。


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4月26日。観光の日。アユタヤの遺跡は予想よりずっと見ごたえがある。

アユタヤ王朝というのは14世紀から18世紀まで続いたそうだ。日本史でいうと室町初期から江戸中期まで。ずいぶん長い。しかしビルマ軍に侵略されて寺院などが徹底的に破壊されたといい、それが廃墟みたいになっていくつも残っている。興味深いのは、首のない仏像ばかりがずらっと並んでいること。胴体より頭のほうが壊しやすかったから、とはガイドブックに書いてない。まあ仏像が重要なものであることや、仏像にとって頭部がまあもっとも重要だろうということを、アユタヤの人とビルマ軍とが共通に理解していたということではあろう。宇宙人の侵略ならこういう仕打ちは思いつくまい。ちなみに、ビルマ軍のほうは何を信仰していたのだろう。

おかしなことに、頭部の欠けた仏像の後ろから自分の顔を出して写真に収める旅行者がいるらしく、「そういうことをしてはいけません」という具体的なお触れの看板が立っている。遺跡の説明は英語しかないが、このお触書だけは日本語もある。

それにしても、我々は他人の信仰心をどの程度までなら蔑ろにしていいのだろうか。微妙にして重要な問題だ。少し前にヨーロッパでマホメットのパロディ画が大騒動を引き起こしたのを思い出す。

じつは、海外旅行で遭遇する信仰への勧誘や強制に対して、なるべく寛容にならないようにしよう、などと考える。なぜかというと、私は日本における信仰への勧誘や強制に対してあまり寛容ではないからだ。近くの信仰者には冷たいくせに、遠くの(外国の、あるいはなじみの薄い宗教の)信仰者はつい温かく見守ってしまうというのが、とても不公平に思えるからだ。法事などで親戚が集まるのはいいことだが、坊さんがお経を読むのを意味も分からず足をしびれさせながらただ我慢して聞くのは時間やお金の無駄だと思っているのに、タイのお坊さんにだけはなぜかにわかに敬意を持とうとしてしまう自分が、非常に不公正だと思うのだ。

それはともかく、タイにはヨーロッパともトルコともインドとも中国とも日本とも違う独自の歴史や文化があったということを、私はあまりに認識していなかった。というか、現在においてもタイという国とそこの人々とが存在しているということ自体、私はふだんほとんど意識せずに暮らしている。あまりに幼稚だが、改めて思い知る毎日。