http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/64186cc20ecf3e3eaa1da3f5b5f1cd48
私は「韓国人を殺せ」と思ったことはない。
しかし
「韓国人バカじゃないか」とか
「中国人バカじゃないか」とかなら
このところ私はよく思った。
仏像をめぐる騒動や尖閣をめぐる騒動を眺めていてだ。
なお一応言っておくと
「アメリカ人バカじゃないか」とか
「日本人バカじゃないか」とかも
まさるともおとらぬ頻度で私はよく思う。
それでも、上の写真をみれば
理性としても感情としても
たしかに「いかがなものか」と言いたい。
だが、それはそれとして
デモや言論そのものを封じるというのはどうなのか?
*
生まれてから一度も
デモを見たことがない人というのは
今どきあまりいないだろう。
しかし
生まれてから一度も
デモに参加したことがない人というのは
それなりにいるだろう。
しかも、つきあいでデモに参加したのではなく
本気でデモに参加した、
もしくはデモを先導したという人は
もっと少ないだろう。
それは
火事を見物に行ったことのある人は多いが
家が火事になったことのある人はめったにいない
という事情に似ている。
そんなわけで
「本気でデモに参加したことのない者が
それがいかなる主張であれ
本気でデモを行っている者を
どれくらいまでなら咎めてよいか」という
個人的なモラルについて、私は考え込んでしまう。
もちろん
ヘイトスピーチを許さない一方で
国法という暴力に頼るのは
どうなんだという
言わずもがなの逡巡もある。
*
やはり
ぜんぜん違うことでデモや言論の場を
あふれかえらせ、あきれかえらせるのが
とりあえず気持ちよい。
こういうのですね↓
http://www.flickriver.com/photos/22081105@N03/tags/%E3%83%A2%E3%83%86%E3%81%9F%E3%81%84/
**
私が
「韓国人バカじゃないか」
「中国人バカじゃないか」
「アメリカ人バカじゃないか」
「日本人バカじゃないか」と思うときの
「韓国人」「中国人」「アメリカ人」「日本人」は
いったい誰のことだよ、という自問もある。
「ヘイトスピーチするやつなんて
死ねばいいのに!」とあなたが思うときの
「ヘイトスピーチするやつ」もまた
上の写真の人を指しているのかというと
まあそうなのかもしれないが
案外そうも言い切れない。
***
(追記)
★朝日新聞デジタル:在日攻撃 牙をむく言葉(敵がいる:1)
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201304270469.html
上記記事を読んで――
「牙をむく言葉」は比喩だ。言葉は爆弾のような暴力そのものではない。だから、ヘイトスピートに寛容にはならない人は、爆弾にはもっと寛容にならないほうがいい。
言葉は暴力的にも働くが、もちろん言葉は意味的にも働く。「在日韓国人をテポドンにくくりつけ、韓国に撃ち込みましょう!」 という言葉の暴力性は、許容しがたい差別や脅しだと感じるが、「在日韓国・朝鮮人が不当な特権を得ている」という言葉の意味もまた、許容しがたい錯誤だと感じる。
私は、どちらかというと、在特会の言葉の暴力的問題よりも意味的問題のほうが気になる。
さてそもそも、この世の中には、私からみて、または、あなたから見て、本当に「不当な特権を得ている」人々はいないだろうか。本当にそのような人々がいるとしたら、それはどの程度ひどい問題だろうか。それはあなたや私にとって、「牙をむく言葉」以上に、牙そのものに近いのではないか。
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…と、ここまで書いたことを改めて読んだが、私は、差別発言を受ける人の気持ちへの想像が欠けていたかもしれない。やっぱり、「○○人を殺せ」といった文言は、人の心に直接突き刺さるような恐怖や絶望をもたらす。ひどいね。いかんね。