東京永久観光

【2019 輪廻転生】

余計な用事


じつは初日(22日)に泊まったゲストハウスが思ったより居心地が悪く、翌日から他のところに移ったのだが、そのときiPodの充電器と変換プラグをコンセントに差しっぱなしにして部屋を出てしまい、あとから確認に行ったがもうなかった。

旅の友である音楽を失うのは痛くて落ち込んだが、そうかタイ式の充電器を買えば当面は用が足せるのだと気づいた。しかしどこに行けば買えるのか。それを連日通っているインターネットカフェで尋ねることにした。若いお兄さんとお姉さんが私のガイドブックの地図を指差しながら、パットナムなんとかというコンピュータ関連のショッピングセンターの場所を教えてくれた。「たぶんここだとありますよ」というかんじ。

私のいる安宿街(有名なカオサン)は中心街へのアクセスが面倒なので、トゥクトゥクに乗った。このタイ名物のオート三輪タクシーは今なお健在。天井はあるが左右が開放的で、バンコクの道路を排気ガス吸いつつ振り落とされないよう椅子にしがみつきつつ楽しく移動できる。いや皮肉でなく楽しい。

そのショッピングセンタ−は4階建てくらいで小さなショップが軒を連ねていた。オレンジ色の袈裟を着たタイの坊さん3人が、メモリーを扱うカウンターに張り付いて品定めしている光景なども面白かった。さてアップルの店はあるのだろうか。かなり心配だったが、はたして2軒あり充電器もちゃんと置いてあった。というかiPod関連のグッズだけを扱っている様子だ。iPod人気のおかげで助かったともいえる。900バーツ(1バーツ=3円)もしたが、まあしょうがない。純正だと1500バーツもする。それにありがたいことに日本でもどうにか使えるようになっている。

というわけで、24日の私に予期せず与えられた「iPodの充電器をバンコクで手に入れよ」というミッションは無事成し遂げられたのであった。余計な用事を済ませたとも言える。

景気の停滞した国で伝染病が流行ったら薬などが売れ出して経済が活性化した、とかいうたとえ話で経済の仕組みが語られたりする。旅行も同じで、こういう余計な用事ができることで活気づくという一面がある。こういうことがなければ、インターネットカフェの店員と会話することも、トゥクトゥクのドライバーと値段交渉をすることもなかったのだ。そもそもトゥクトゥクにはもう乗らなかったかもしれない。コンピュータのショッピングビルでアップルの店を探し回ることもなかった。こういうことが無意味なのか有意味なのか定かではないが、まあ旅日記のネタにはなる。

このまえ雑誌『文学界』の対談に東浩紀が出ていて、mixiやblogをめぐって、情報というよりコミュニケーションの流通だけがやたらと増大している、という趣旨の分析をしていてなるほどと思った。経済というコミュニケーションも旅行というコミュニケーションも、そのアホらしさと、それでも「景気」はよくなるという原理において共通しているのかなと思ったりする。

そのあとバンコクの繁華街が近いとわかって、図らずもそこを見て歩くことにもなった。しかもそこでトイレと涼のために入ったビル(巨大スーパーBIG-Cという)で、フードコート(食堂の集まり)に並ぶ料理の数々があまりにうまそうだったので、さっきすませたばかりの代謝コミュニケーションをまた無闇に増大させてしまったり。

そこは席もゆったりしていて、電力の心配もなくなったiPodと『ダンス・ダンス・ダンス』の続きを長いこと楽しんだ。ちょうど昼飯時のサラリーマンが連れ立ってやってきていた。そろってきちっとしたシャツとネクタイ。髪はさっぱり刈り上げ。上下の微妙な関係も垣間見える。人によっては透けたランニングシャツも垣間見える。足元だけは素足にサンダルで涼しげ、だと面白いが、きちっと黒い革靴。こういうところにもグローバル性というか同時代性というか、は刻まれる。

夕方からは、宿からほど近い国立図書館に出向いてみた。ここはぜひ行ってみようと思っていた所で、期待どおり、ひんやり、ひっそり、一人きりの空間と時間に浸れるのだった。『認知言語学』(大堀寿夫)なんていう本も持ってきていて、ここではそれを読んだ。人も少ない。広いテーブルをゆうゆうと使えiPodも聴けた。おまけにインターネットも無料(1時間)でできるのだ。冷水も飲める。トイレももちろんある。

なにより日本でもなじみである図書館にいるということ自体が、異国の環境にあって親しみと安らぎを運んでくれる。それと、図書館の近くには小規模ながらゲストハウスがいくつかある。カオサンに比べてすこぶる上品で静か。帰国前にバンコクに戻ったときはこっちに滞在しよう。

きょう(25日)はアユタヤに移動。バンコクはまだ名残惜しいが、しばらくさようなら。