東京永久観光

【2019 輪廻転生】

条件反射


バンコクで映画館に行った日のこと。席に座って予告編を眺めいよいよ本編かというとき、周囲の客が一斉に起立する。なんだと思ったら、国王を讃える映像と音楽(国歌?)が流れてきたのだった。つられて私も腰を上げる。後日もう一回映画館に行ったが同じだった。バンコク駅でも朝8時ごろ似た場面に出くわした。食堂にいたのだが、またもやあの音楽。私一人がメシを食っているわけにもいかなかった。

それにかぎらずタイでは国王のアイコンをいたるところで目にした。そして人々は国王に特別な態度を示すことにためらいがなさそうにみえた。オート三輪タクシーの品行方正でもなさそうな若い運転手は天井に国王の写真を貼っていた。また、これは9年前のタイ旅行のこと、バンコク近郊の若い女性のアパートに入る機会があったのだが、広くもないワンルームの一隅に国王の写真を飾った棚みたいなものがあった。そこには足を向けて寝ないとも言っていた。

むかし私の祖父母などは昭和天皇と皇后の正装した写真を部屋の壁に飾っていた。だいたいそれと同じことだろう。しかし日本ではもうそうした習慣は廃れたようだ。だからタイ国民の国王に向けたふるまいは、私には際だつし、その気持ちが謎めきもする。タイの人が仏像や僧侶を前にしてしばしばごくふつうに拝むのと、似た感じかなとも思うが。ともあれ面白いというのが、とりあえずの感想。

ところで、タイ国王のためには起立するのに、君が代斉唱のときは立たないぞというのは、思想的一貫性に欠けるかなどと思ったりもする。しかしまあ、自分が国民としてその君主と直接関係があるかないかは大違いなのだとも言える。とはいえ、だからといって余所の国のことはどうでもいいとか、余所者はイチャモンつけるなとかいうことになるのかというと、そうでもないと思う。

私が映画館で起立したのは、ちょうど大江健三郎の『憂い顔の童子』を読んでいたころだった。それで、スウェーデン王室といくらか関わりのあるノーベル文学賞を受けた大江健三郎が、天皇からもらう日本の文化勲章は辞退したという一件をどうしても思い出した。というか、この小説自体がその傷(?)にじくじく触れている。

かつてタイで政変の危機があったとき国王の一言でそれが収まったという出来事があった(92年?)。タイ国王の存在を強く意識したのはそれが最初だったろうか。そのとき特に印象的だったのが「プミポン」という名前。それともう一つ。その政変に絡んで誰かが国王に謁見したときの映像がテレビで映ったのだが、その人はなんと、腰をぐっと低くして脚をクネクネさせる実に妙な姿勢でプミポン国王に近づいていったのだった!

タイの映画館での異体験についてはそのうちここに書こうと思っていた。「タイのプミポン国王が即位60周年、在位は世界最長」のニュースを知り、ちょうどよいタイミングということで。ちなみに昭和の天皇はさらに長かったわけだ。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060609i113.htm