東京永久観光

【2019 輪廻転生】

Movie Baton

campanulaさんより
http://ameblo.jp/campanula/entry-10003413542.html


●質問1:所有している映画の本数
●質問2:最後に買ったDVD
 どちらもなし。


●質問3:最後に観た映画
 テオ・アンゲロプロスエレニの旅
  (公式サイト http://bowjapan.com/eleni/
封切りを見たのに少々眠ったため、先日じつは別の館で見直した。もしまだアンゲロプロス映画を見たことのない人がいたら、冒頭カットでいきなり腰を抜かし次のカットでもう目は釘づけ、それくらい未体験の驚愕が走るだろう。それは疑いえない(ぜひ次の機会に映画館で)。集落が洪水に沈むという天変地異すら起こる。大昔、アフリカを旅行したある人がある局面で「地球が回るのを感じた」などと話すのを聞き、内心「いくらなんでも大げさ」と思ったが、アンゲロプロスの映画ならまさにそんな形容がふさわしい。そして旅行も、アンゲロプロス映画の比喩としてならそういうことがある気もしてくる。…しかしながら、個人的には『エレニの旅』がこれまで見たアンゲロプロスのベストとはならない。微妙に飽きてきたというところも正直あるのかも。アンゲロゲロゲロ…?


ついでながら、最近レンタルでみたDVD。
 『ワンダフルライフ』 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20050612
 『下妻物語』 
 『犬猫』 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20050807
 『子猫をお願い』 
 『ユリイカ』 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20050601
 『青の稲妻』 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20050526
けっこうまめに感想を書いた。まだ触れていない2作品。『子猫をお願い』は映画館で見て、また見たくなってDVDを借りた(asin:B0006OFLKY)。いずれ改めて紹介したい。たとえばこの『子猫をお願い』が、無意識のうちに長く受け継がれてきたらしい、映画としてしか起こらないような、映画そのものですらあるような不思議な魅力に溢れているのだとしたら、『下妻物語』は、そういうものと明らかに一線をかくしていると感じたが、そこはむしろ新鮮でしかもそれは別にして非常に堪能した。


そういえば「最後に見た映画」というと、ホントは昨晩NHK-BSで途中からみた『男はつらいよ 望郷篇』だ。この夏、寅さん全48本を上映するという。今週実は『続・男はつらいよ』『男はつらいよ フーテンの寅』『新・男はつらいよ』と見てしまった。癖になる。


●質問4:よく観る。または特別な思い入れのある5本

 侯孝賢恋風』 ASIN:B0007LXPJ0
  http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20040122
 テオ・アンゲロプロス霧の中の風景ASIN:B0002HNQAC
  http://www.mayQ.net/kirinonakano.html
 ビクトル・エリセエル・スールASIN:B00005HARO
  http://www.mayQ.net/elsur.html
 ヴィム・ヴェンダースアメリカの友人』 ASIN:B00005G0MA
  http://www.mayQ.net/junky5.html#971122
  http://www.mayQ.net/tabinatu3.html#3
 ジム・ジャームッシュストレンジャー・ザン・パラダイスASIN:B00005GRHY
  http://www.mayQ.net/mujinjim.html

やはり私にはこの監督たちがなぜかいつまでたっても別格だ。いずれも80年代あたりに出会った。圧倒的な何かがこれらの映画にはあったとしか言いようがない。一時的な思い込みがあるとしても、その頃の私にそれが起ったのだから、どうしようもない。蓮實重彦の影響があからさまともみえるが、当時はたいして意識していなかった。なお、同じ監督で『悲情城市』『旅芸人の記録』『みつばちのささやき』『パリ、テキサス』『ダウン・バイ・ロー』等もあるが、あえて上記を選ぶ。感想は過去に書いたものでとりえあず。

日本映画をあえて外したわけではない。好きな映画はいろいろある。『ユリイカ』などは上の5作に並ぶかとも思う。でもマイファイバリットが一群としてはなかなか定まらないのだ。ただ、同じく80年代の作品はやはりなぜか忘れ難い。だからためしに80年代で5作選んでみた。小栗康平『泥の河』、森田芳光家族ゲーム』、崔洋一『十階のモスキート』、相米慎二台風クラブ』、原一男ゆきゆきて、神軍』。


●質問5:バトンを渡す方々
 未定。


このあいだ映画館の椅子にすわって『エレニの旅』が始まったとき、ああ自分の視覚聴覚のすべては、いや全身まるごとが、今この映画だけに包まれていくのだなあと、感慨深かった。テレビみてパソコンでネットしてという毎日は、あふれかえる情報がやかましくててどうしようもないのだとも言える。何か一つのことをじっくり眺める考えるというチャンスを与えてくれる場なんて、我々は映画鑑賞をのぞくと滅多に持てないのかもしれない。アンゲロプロス作品は特にそのような度合いが濃い。とはいうものの。それと裏腹なのだが、『エレニの旅』という映画は、なんというか、長い年月をかけて緩やかにただ死んでいくことの魅惑を味わっているのではないか、とそんなことも感じられる。ここに描かれたあるギリシャの人々の宿命的な苦難は、考えてみればすべてすっかり終わってしまっており、監督はそれをどこまでも優しく眺めて反芻しているようなところがないだろうか。それはやっぱり、生きるという間抜けな素振りとは少し縁遠いのではないか。もちろん、ひたすら昔を振り返って穏やかにたとえば30年くらいかけて化石になっていくような人生、つまり浮世とはできれば縁を切って自閉し退去していく方向だけの人生も、十分アリだと私は思うのだが、現代日本の我々に実際「生きる」ということがあるなら、それはたとえば、小泉のこと選挙のことにいちいち巻き込まれ、この政局を面倒くさがったり面白がったり、それでも結局あれこれ考えたり書いてしまったりして騒々しく日々を送ることにしかないのだとも思われる。美しく死んでいく映画体験もいいが、そういうまるで小泉政変のごとくごちゃごちゃ間抜けに生きのびようとする映画体験があってもいい。