東京永久観光

【2019 輪廻転生】

「中国」は「青春」よりもっと奇妙


ジャ・ジャンクー監督『青の稲妻』(中国映画)=DVD鑑賞=
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主人公の青年2人の顔が生理的に強烈で、まずそこに引き込まれた。冒頭バイクを運転しながら正面向きで現れるビンビンのでこぼこ顔もさることながら、後から出てきたボサボサ髪のシャオジイがなにしろ圧倒的で、途轍もないダサさとぎらつきの塊に感じられた。二人そろって痩せこけた身体。終始険しく沈んだ表情。一度でも笑った場面はあっただろうか。ふと、つげ義春の漫画にあれくらいイビツな風貌に描かれた人物がいたように思い出す。だが彼らのインパクトはそれを上回った。まして今の日本にはあんな顔つきの若者はもういない。青春とはいずこも同じ冴えない暗い一時期なのだろう。それでも、近年の歴史において空前の激変が進行中とおもわれる中国であるからには、青年もまた世にも稀な類いが出現していてもおかしくない。


舞台は2001年、山西省の大同という地方都市。北京オリンピック開催決定のニュースにこの町も沸き、WTO加盟も話題にのぼる。高速道路が次々に建設され土地を削った跡も生々しい。その一方、職にあぶれた大勢の若者が昼間からビリヤードやカードに興じている。国営工場に勤めるビンビンの母親は、給料未払いが続いたあげくリストラされた。別の工場では大きな爆発事件も起こる。行政当局は人々を怪しい宝くじにしつこく誘い「一獲千金」の言葉も迷わず使う(その名も「パソコン福祉くじ」!)。


ビンビンとシャオジイは地元に住む19歳で相棒どうし。ともに仕事がない。直情的なシャオジイは、酒販売のキャンペーンで踊りを披露していた女性に激しく惹かれる。情夫の存在を知るとなおさら強引に奪おうと近づいていく。一方ビンビンはまだ学校に通っている少女とつきあっている。シャオジイの恋が動的に華々しく描かれるのと対照的に、ビンビンたちは2人きりで語り合うだけの仲でなかなか発展しない。この映画は、実をいうと、そんな2つの恋の行方をただ交互に追うことで進行している。しかしその背景には、上に述べたような中国の実情が否応なく映し出され、意図的に差し挟まれるもする。


国家主導経済から市場開放へ、そして高度成長。人々の暮らしはどう揺れるのか。答の一つはやはり「拝金主義」なのだろう。ビンビンは「ふんWTOが何だ」「金儲けだろ」と投げやりに言う。それでいて彼らは1ドル札が何元なのかも知らない。彼女が北京に進学して貿易を学ぶと告げても、ビンビンは「貿易とはウサギを集めてウクライナに売ること」などと訳の分からないことしか言えない。経済に関してまったく不案内でありながら、金儲けへの漠然とした渇望だけが高まっている。いつどこからうまい話が転がってくるかと空ろな目のまま常にきょろきょろ。中国全土を覆っているのはそんなムードなのかもしれない。といっても、そもそも拝金主義と無縁の所はないだろうし、日本だって「お金様は神様です」の精神は近ごろ顕著だ。また、胸を張って語られる復興や経済成長の物語に逆らうようにして、青春の映画が暗いトーンで成立していくことも、あらゆる国で共通なのだろう。それでも中国はあまりに巨大、あまりに特殊。その金銭模様の熾烈さもケタ違いなのだと想像する。この渇望が絶望に終わるのを我慢できないとき、銃も爆弾もためらわず「なにかデカいことを」ということになる。国も人もなりふりかまわないのが中国か。


こうした激しい隆盛と破壊こそが2人の顔をあのように刻んだのだ。そう言ってみていいだろう。ハレの世紀にこぞって浮き足だつ中国にあって、息のつまる田舎町で学も職もない19歳とは、かくも焦燥と不安ばかりの顔になってしまうのだ。まあ愛国どころではないだろう。孔泉報道官や呉儀副首相は、その余裕と自信の顔を、少しでいいから分けてやってくれ。


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ビンビンは多額の借金をして携帯電話を買い、彼女を呼び出してプレゼントする。そのとき2人が向かい合って座った室内のボックス席は、ショットが全景に切り替わると、がらんとした広いスペースに据えられていたことが分かる。訳あって煮えきらないビンビンに対し、進学も決まってちょっと垢抜けた彼女は、そこへ自転車にまたがって再登場し、無言のターンをする(これぞ羽化した蝶の舞いか)。


しかもそこはどうやら冒頭のシーンでビンビンが入ってきたのと同じ場所だ。また、中国でおなじみの路線図やベンチがすでに目に入っていたのだが、やはり長距離バスのターミナルに隣接していたようだ。ちなみに、2人がいた座席は濃い緑色で、もしかして中国の列車の普通座席を再利用したものではないか。もう一つちなみに、大同という町を地図で見ると、少し北はもう内モンゴル自治区で、キャンペーン中の酒が「蒙古酒王」という名だったのも合点がいくのだが、むかし私が北京からウランバートルまで列車移動したときたぶんこの町を通っていたのだということにも気づいた。ついでにもう一つ。中国では町の美容室が性風俗のサービスも行っていると旅行中に聞きおよび、いったいどんな仕組みだろうとか、じゃあ美容室自体に行きたい人はどうするのかといった疑問が渦巻いていた。この映画ではそのもやもやも少し解けた。


で、そうあちこち旅行したわけではないが、人を呆れさせてやまない面白い国というなら、私には中国がダントツなのだ。さまざまに評することができるが、たとえば中国は猛烈に「うるさい」。まず車が溢れている。質がよいとは思えないエンジン音。ところかまわずのクラクション。人の群れとその激しい動きは当然ながら絶えることがない。しかも人前を憚らずフルボリュームで口論する。おまけにアナウンスや音楽がなんだか知らないが随所で唸っている。安っぽいスピーカから割れるような音質で。なにかいちいち宣伝や指図をしているようなのだが、そうしたスローガンは壁や横断幕の文字としてさらに追い打ちをかける。室内に入ってもテレビが決まりのように大音量でついている。とにかく鬱陶しい。すぐに気が散る。いるだけで疲れる。あるいは、中国は「ぼろい」という形容もしっくりくる。バスもぼろい。建物もぼろい。住居もぼろい。テレビもぼろい。道路は穴ボコとデコボコだらけ。そんななか仕事もせずたむろする人々がいる。目の前の出来事や他人の行為をただ眺めて一日を過ごす人も少なくない。そしてみんなやたらと煙草を吸う。そうでなくても排気ガスと土埃にまみれた空気がますます酷いことになる。あるいはそこに、ランニングシャツ1枚か上半身裸の男たちが混じっても中国では驚くに値しない。――いや、こうした実情のいずれもがまた、『青の稲妻』から窺い知れるのだ。否応なく紛れ込んでくるそうした雑音や雑景を、あえて消さずに含ませたとも考えられる。台詞の途絶える間がしばしばあるが、そこではそうした背景だけが目や耳に残るだろう。そんなわけでこの映画はドキュメンタリーのようにも感じられる。言ってみれば、この映画の鑑賞は中国をリアルに旅行している気分でもあったのだ。そのぶん感動というより疲労という時間を過ごしたのかもしれないが。


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この映画はいくつかのシーンで必要以上の冗長さが印象に残る。住宅団地のわきに荒れた広い更地があり(大きな工場が解体された? あるいはこれが爆発事件の跡地?)、シャオジイがバイクで通り抜けようとすると、バイクは見かけほど性能がよくないらしく何度もスタックし、ただ力任せに乗り越えようとするがいっこうに動かない。ここがまず異様にじれったい。ラスト近くでもう一つ。2人はとうとう子供じみた銀行強盗をはたらき、そこでシャオジイはビンビンを置いてバイクで逃げてしまう。荒れ地に造られた道路をおそらく行く当てなしに走り続けていると、稲妻が光って雨も降りだし、またもやボロバイクはエンストしてしまうのだが、そのカットがまた長い。ほかにも、シャオジイが高速道路をすたすた歩きだした女をバイクの後ろに乗せ、そのまま黙ってゆっくり進んでいくところもけっこう長い。最後のビンビンの下手くそな歌もやけに長かった。こうした冗長さには、青年2人の行く手がいっこうに不明瞭で手ごたえもなく、その先に困難しかないにも関わらずそのまま突入させるしかない、そんな認識に対する監督の迷いやためらいを、体感として受けとめればいいのだろうか。(しかし、改めてこれらのシーンをみて、これくらい長いほうがしっくりくるとも感じた)


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中国の若手監督ジャ・ジャンクーは、今まさに世界が注目しているらしい。1970年この山西省に生まれている。なお、冒頭のあのがらんとした場所で一人ひたすらオペラを熱唱していたランニングシャツの好青年こそ、ジャ・ジャンクーその人なのだった。それと、ビンビンはじつは地道な性格で、母親の退職金を元手に映画ソフトの販売で生活の糧を得ようとするのだが、そのとき買い手の知りあいに、『一瞬の夢』ない? 『プラットフォーム』もない? 学生相手にそんなことで大丈夫か、などと言わせているのも、なかなかお茶目で良いと思った(両タイトルとも同監督の作品)。


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中国経済について情緒的に書いたかもしれないので、少し正味な情報も。ビンビンの母親は国営紡績工場の退職金(なぜか弁当箱にしまいこんでいる)が「20年も勤めたのに4万元ぽっち」と嘆く。4万元を円換算すれば50〜60万円。中国都市部の会社員は月収1000〜2000元くらいという話も聞くが、そこからみればさほど悪くない額に思える。未払いが続いたという給料はいったいいくらだったのか。むしろ今の日本で(公務員はいざしらず)弱小サラリーマンがリストラされたとき、退職金はどれくらいちゃんともらえるのか、気になってきた。しかし一方、ビンビンが彼女に贈った携帯電話はモトローラ製で1500元もする。こういうものは価格そのものが高いし、中国の現金収入ではなかなか手が出ないのだろう(でもそれにしてはみんな持っているようで不思議)。それからビンビンが扱っていた映画ソフトは1枚売って2元の儲け。…まあしかしこれだけで全体像は見えてこない。それに、もともと社会主義の中国では住居や食糧は職場単位などでかなり安く賄えていたはずで、そのことやそれがこの先どうなるのかを踏まえておかないと、中国の家計というのは分からないのだろう。ビンビン母子もそうした職住一体の生活圏にいるようだ。そこには党か行政の末端役人も入り込んでいて細かい指導やお節介をしてくる。こうした構図も中国独特のものだろう。さてそうこうしているうちに、ドルに連動していた元もいよいよ引き上げの時が来る。これで彼らの貯金や生活はまたどう転んでいくのか。それもまた日本の私には実感しようがないが、彼ら自身ほとんど何も予測できていないのではないか。まあこちらの郵政民営化道路公団の分割にしたって、それで誰がいくら得するのか損するのか、けっきょく計算しようもないのだが。


*少し修正(5.27)