東京永久観光

【2019 輪廻転生】

旅の回想というより、回想という旅


しばらく続いた繁忙期が終わった。「さて何しよう」と考えて、積年の気がかりだった昔の旅行日記をパソコンに書き写す作業にいそしむことにした。インド・パキスタン・中国と慌ただしく移動した2カ月間。最初の勤めを辞めた1989年だから…、16年も前になる。

年季の入ったノート。なぐり書きされた文字。ただ順に解きほぐしていくだけで、折り畳まれていた出来事の感触は、まったく面白いほどありありと蘇ってきた。不思議でしようがない。16年もの間、この化石のごとき記憶はいったいどのように保管されていたのだろう。しかも今いかにして再演されているのだろう。極めつけの謎といっていいが、それは言葉という媒介の魔法を思い知ることと同じだ。

昨日の旅はヒドかった。トヨタハイエースに運転手ふくめて19人が押し込められ、20時間の苦行! まったく信じられないことには、夜中や明け方でもおかまいなしにパキスタンの音楽をガンガン流す。うるさいのなんのって。明るいうちは気も紛れたが、夜間はどうにも辛かった。うとうとすると頭や肩を車体にごつんとぶつけたり。揺れるなんてもんじゃない。僕はいちばん後ろの左端でタイヤのほぼ真上。まいった。けさは、山岳地帯の荒涼(じつにこの言葉はここのためにある)としたなかをずっと走ってきた。木々はなく人影ももちろんなく、あるのは親しみなどつゆ持ちあわせていない大小の岩ばかり。そのなかを送電線だけが走る。赤茶けたほこりまみれの道だ。途中で、崖下に車(スズキの集合自動車?)が転落しているのに出会う。いやなものを見てしまった。そういえばこのハイエース、よく止まった。食事だのトイレだの水だの。山岳地帯に入ってからは軍の検問ばかり。

「赤茶けたほこりまみれの道」にしても「トヨタハイエース」にしても、誰もがくりかえし言う表現だ。そのような言葉しか我々は使えないのだが、そのような言葉をほんの10行並べることで、何ものにも代えがたい記憶が引き出されてくる。いや、考えてみれば、海外の強烈な体験だけが特別なのではなく、記憶とは常にことごとく固有のリアリティを持っている。

そこで気づかされるのはまず、言葉は体験そのものではないということ。1989年に起ったこの20時間は世界で起っている他のいずれとも異なる出来事なのだから、それを書き記すにも他のいずれとも異なる言葉が要るのではないかと思いたくなる。しかし我々の言葉はそういうふうにはなっていない。「赤茶けたほこりまみれの道」くらい、おおよその色あいや輪郭を書き留めておくことで、唯一無比の体験をさっと束ねてどこかに放り込んでおく。

というわけで、言葉自体は曖昧なものを担うのだが、曖昧であるがゆえに汎用性がある。そのおかげで言葉は共通の道具になる。ただそれでも不思議なのは、その汎用性のある言葉によって、この明らかに固有性のある記憶が成立してくることだ。さらには、16年経過したにも関わらず、あの出来事とこの記憶が、少なくとも私の意識のなかでは、たしかな同一性を保っていることだ。このあたりにこそ人間の脳細胞の最大の謎があるのだろうが、それはほとんど言葉の魔法ということでもあろう。

旅行を記録した言葉は曖昧で限定されているのに、それが引きだしてくる旅行の記憶は鮮明で際限がない。

いったい言葉とは何であろうか! 文法・意味・用法といった縛りは案外きつく踏み外すことは不可能に近い。それなのに、その汎用性と可塑性は万能であらゆる事象を引き受けようとする。しかも脳の働きと共同して、その再現性と同一性は完璧に感じられる。

そして私は、このノートを読みそして書き写すことで、あの懐かしい旅を今もう一度したのだと確信している。そして、あの日の出来事をこれらの言葉として書き記しておかなかったなら、また今回この言葉を媒介にしたのでなければ、回想という旅行はこれほど鮮明にはなりえなかったとも確信する。

自己から記憶を引いたら何が残るだろう、とはしばしば言及される。しかし、記憶から言葉を引いたときも、何が残るかおぼつかない。記憶の最大の鍵はこのノートの文面が握っている。16年前の旅行とは、じつに16年前に私が綴った旅行ノートと同一なのかもしれない。人生の大半はけっきょく言葉を書くことや読むことを通してしか現れようがないのだと、言い切りたくなってくる。


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言葉や脳の曖昧さ・汎用性・可塑性ということについては、池谷裕二進化しすぎた脳』から大いに示唆を得た。ASIN:4255002738


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ところで旅行というのは、環境や身体に新しい事態が次々に訪れて五感全体をフルに動かさざるをえないような体験だろう。だから記憶としても旅行というのはじつはかなり特殊性を帯びているとも考えられる(言語の支配はまだしも少ないのかもしれない)。そうした観点から逆に際立つのは、こうしたネット上の読み書きだ。これはやはり環境や身体の体験とは関係が薄く、いわば言語のみ情報のみの記憶として積み重なっているように思われる。このような特異な体験や記憶の仕方は、少なくとも1989年にはたぶん存在していなかった。こうした類いの記憶となれば、言語の関与はなおさら圧倒的だろう。ネットサーフィンしている私の記憶がいったいこの先どうなっていくのか、興味津々なのだが、それについてはまたいずれ。