東京永久観光

【2019 輪廻転生】

理屈のチャンピオンは誰だ

●《一般市民として、つまり非常に重層的な社会に住んでいて、状況によっては実際にはいろんな立場が違ってくるから、あるいは考えてくるときのバックグラウンドや制約が違うので、どちらにコミットしていいか、ということはいろいろ議論ができるけれども、自分がひとりでどの段階でどうか、と言われたときには、それはどうするか分からないよ、という感じの市民》なんて言うから、「え、私のこと?」。さらには、そんな感じの《市民としては、やはりひとりの人間として生きざるをえないので、人間というのは立場の集合ではなくて、一人の人間であるから、そこで悩むし考えるしその場その場で直観的に考えるかもしれない、というそういう意味?》とあっさりまとめて問い詰められ、「…いや、まあ、たしかにそれだけのことでした、すいません」。●しかしこれは、べつに下の日記(11.10)後半を分析したものではない。安心せよ。情報倫理の構築といったことを目指す研究プロジェクトの一環として、千葉大でなかなか息の長いフォーラムが続いていたようで、その記録の一つをたまたま読んでいたところ、コアメンバーでもある土屋俊氏が上のように発言していたのだ。そこでは、土屋貴志氏(土屋違い)が、倫理の実践においては対立する二つの規範がどちらも正当に思えてどうにもならないことがある、といった実感を述べたのに対し、土屋俊氏が質疑応答で容赦のない突っ込みを次々に入れていく。詩のボクシングならぬ哲学のボクシングといったおもむき。手に汗にぎるライブ観戦だった。リンク:土屋貴志氏の発表「規範的判断における情報」質疑応答 ●それにしても、土屋俊氏は図抜けて正確な理屈パンチをくりだす。相手を見透かすことレントゲンのごとし。相手に切り込むことカミソリのごとし。ところが最後のほうで、なんと永井均氏が急にリングに上がり、しばし土屋俊氏とサシの対決みたいになる。ここで私は思わず「技あり!」と叫びたくなった。どちらに? ―それは観戦してのお楽しみ。

●エキサイティングさに味をしめ、もう一戦。それはこちら、金森修氏の発表「技術哲学の基底性について」質疑応答。●ここではクローン人間の議論などを支える土俵もしくは土俵作りといったものがテーマだが、質疑応答のなかで、倫理あるいは倫理学説に根強い対立があったとき、どっちが正しいかは最終的にはゲバルトで決まるのだとか、それはすなわちどっちの予算が多いかということだ、といった話も持ちだされ、ふ〜むと感心。●なお、上記二つはどちらも応用倫理学の原理になるような議論であり、以前読んだ『異議あり! 生命・環境倫理学』を思い出した。

●政治家のやっていることを「政治」と呼ぶように、哲学者のやっていることが「哲学」なんだという定義はありうる。じゃあ「哲学者」って誰さ、ということになるが、やっぱり大学などで「哲学」を専攻する学者が「哲学者」だということで事実上さほど間違いないのだろう。ところが、そうした大学の哲学系の教授とか助教授がふだん何をしているかというと「ぜんぜん哲学なんかしていないんですよ、これが」(不正確引用)といったふうに中島義道氏が書いているので、ややこしい。それでも、「哲学」の先生方も捨てたもんじゃない、時と場合によってはこうして本質的で真面目な思索をしているじゃないかと、不遜にも感心してしまったしだい。●こうした議論が、「哲学」の文献ではなく現存する同業者どうしの専門そのままの呻吟や齟齬なんだと思うと、貴重ではないか。金森氏は最後に《なんだか飲み屋での話みたいになっちゃって》と呟いてはいるが、書籍というものが主に一人の手による作業であり、一般向けにきれいにまとめる作業であることを考えれば、こっちのほうがよけいスリリングだとも言える。

●当然のことながら、こうした議論や人材は、大学という巨大なインフラ整備に拠るところが大きいはずだ。したがって、ただどかどか投入されてきたようにみえる税金も、たとえばこのフォーラムがナンセンスだと思わない人にとっては、けっして無駄金ではなかったことになる。●だからそのインフラの成果のほうも、このような記録ウェブとして、迷わずどかどか公開してもらいたい。そうでないと、なんだ先生方の議論もブログのコメント欄とたいして差がないじゃないか、などと錯覚されかねない。公的資金なしに営まれているブログなんてものとはスケールが圧倒的に違うはずの、大学の多様かつ深遠な底力をもっと知りたい。

●と書いたところで、ふと気になったこと。このフォーラムの記録を、今たとえば、東京都立大学を手中にしたつもりで「チマチマした人文系のお勉強など全くくだらねえ、オレが全部ぶっつぶしてやる」と息巻いている(いやこれは完全に私の想像にすぎない、字幕にしないよう)石原慎太郎が読んだら、どのような雄叫びをあげるだろう。ちょっとびくびくものである。(もちろんこのフォーラム自体は千葉大だから国の管轄)。●なお「チマチマ」というのは、繰り返すが石原氏が言ったわけではなく、私がそう思うのでもなく、同フォーラムの別の回で、高橋久一郎氏が「倫理学の現在」というタイトルについて冒頭で言った言葉を、ちょっと使ってみたまで。

東京都立大の改編に対する異議については、こちらのサイトなど