一連のツイート、なんだかとても面白そう。著書を読んでみたい。
ベイズ主義は哲学に過ぎないという点で氏は正しい。しかしそれが数学でとって替えられると思っている点で間違っています。数学の進展は素晴らしい。しかしそれは哲学ではない。哲学的議論で数学的証明が覆せないように、哲学的思想を数学で否定することはできないのです。
— Jun Otsuka (@junotk_jp) 2020年11月2日
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私の場合、「ベイズ統計とは何か」は、「日銀が国債を買い占めるとはつまりどういう意味か」がわからないのと、同じくらいわからない。すなわちー<わかりそうで、わからない、少しわかる、いや実はほとんどわからない>(桃屋のラー油状態)
そんなことから、え〜っと「尤度」ってなんだっけ? と気になりだし、検索してみたら、以下の資料が出てきて、少なくとも「尤度」についてはよくわかった!
http://www.statgenet.med.kyoto-u.ac.jp/StatGenet/ryamada_bon/SaikouPDFs/GNMT_CH09.pdf
《観測の前後で、比較可能にした観測前後の尤度を(観測という「事」の「前」と「後」の尤度であって、「確率と同じように、足して 1 になっている」という意味で)、仮説の事前確率と事後確率と呼びます。この事前確率と「事」の観察と事後確率の関係のことを、ベイズの定理と言います》
私もドヤ顔
だいたい「尤」という漢字は、音読みも訓読みもあまり知られていない。「犬」ではない。「犬度」なら以下。
さて夜中に、なぜベイズ統計について読み書きしているかというと、仕事について読み書きをしたくないからだ。人間の行動は単に「何かやりたいこと」の関数ではない。「何かやりたいことと、何かやりたくないことの、組み合わせ」の関数だ。
ベイズ統計がものすごく面白い度合いと、仕事がものすごく面白くない度合いの、関数だ。
そして、今こうして私が「仕事に取り掛かっていない」という観測から、「仕事がどれほど面白くないか」は、事前の確率(まあ70%くらい面白くないのだろう)から、事後の確率(いやもしや95%くらい面白くないのかも)に、変化したのだった!